あのころニューウェイヴ

2007年5月 5日 (土)

U2:ストラトの系譜

War #5.U2:WAR

ニューウェイヴがストラトというイメージができたのは、いつからだろう。まず思い出すのは、U2エッジだ。エッジのカッティングやディレイはカッコよかったし、これこそニューウェイヴのギターだと思ったものだ。

U2のアルバムと言えば、やはり「WAR」だろう。最初から最後までたるむことのない、このアルバムの完成度は非常に高く、ワシの中では「Boy」や「October」の印象を吹っ飛ばしてしまっている。「WAR」について、ボノは「『WAR』とはいろんなレベルにある『戦い』を扱ったものなんだ。……確かに『戦い』がテーマだ。それも、何かを壊して新しいものを築いていくためのもの。決して否定的なアルバムなんかじゃないんだよ」と言い、その重いテーマを歌うのだが、BGM的に聞き流していたワシには歌詞がよくわかっていない。それでも「WAR」の音には魅せられた。

エッジのストラトが印象深いのは、ひょっとしたら「New Year's Day」のビデオクリップなのかもしれない。雪の中での演奏に、戦闘シーンがかぶる。乗馬シーンにピアノが鳴る。うは、寒そう…と思いつつ見ているが(でもワシはこの寒い中での演奏シーンって、やたらと好きなんだな。うん)、ボノの力強いボーカルもあって妙に惹かれた。そこに奏でられるエッジの印象深いギタープレイが心地よい。やはり「New Year's Day」は絶品だ。

U2の「WAR」は83年なので、その前にストラトのイメージはなかったのかと考えると、やはり出てくるのはエイドリアン・ブリューだ。

Discipline エイドリアン・ブリューを知ったのは、トーキング・ヘッズのときだったが、やはり大事件だったのは新生キング・クリムゾンだ。エイドリアンの加入で、クリムゾンがヘッズ化したと言われたりもするが、いつもアグレッシブで、プログレッシブを求めるロバート・フィリップの嗅覚と度量の広さに、ワシは感心する。この「Elephant Talk」のライブでのロバート・フィリップの笑顔を見ると、まさに彼の計算どおりにエイドリアンがはまったという感じだ。

それにしても「Discipline」でのエイドリアンのギターには、度胆を抜かれた。え゛、これゾウかよ・・・。ソロアルバム「ローン・ライノウ」では、ネコとサイ。動物の鳴き声は、ダイキンのCM()で、その後お茶の間でも有名になるが、当時はびっくりしたものだ。まあ、ゾウに限らず、他の曲においても、エイドリアンの独創的・変幻自在のギターはホントすごい。まさにキング・クリムゾンの復活だった。

思い起こしてみると、エイドリアン・ブリューとエッジが、ワシのニューウェイヴのギターのイメージなのだった。・・・おっと、アンディ・ギルを忘れてはいけない。

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2006年11月27日 (月)

ポリス:ニューウェイヴの牽引者

Reggatta de Blanc #4.The Police:Reggatta de Blanc

パンクとニューウェイヴの最大の違いは、その演奏力だろう。演奏力の違いを見せつけたバンドとして、ワシはポリスを思い浮かべる。パンクを指向した彼らが演奏力をひけらかすことはなかったが、桃李もの言わざれども…演奏力の高さはだれが聴いても自然とわかってしまうのだ。

ジャズロック風味のスティングのベースとボーカル、元カーヴド・エアーのスチュワート・コープランドのエキサイティングなドラム、元ニューアニマルズ、ソフト・マシーンのアンディ・サマーズのマルチなギタープレイ。この3人が織りなすレゲエパンクは、正直言ってカッコよかった。80年前後は、ポリスを聴いていることがまず前提みたいなところもあった。ジミヘンクリームのように、3人が責任と緊張感の中で鎬(しのぎ)を削るギタートリオ――コープランドが提示したこの戦略が、3人の才能をうまく引き出したと言えるのかもしれない。

ポリスの洗練された演奏が、パンクではない、パンクを利用したなどと言われたりもするが、78年のファースト『Outlandos d'Amour』で、「ロクサーヌ」が売春婦の名をタイトルにしたことで放送禁止、「キャント・スタンド・ルージング・ユー」が自殺をテーマにしているということで放送禁止となっていることなどを考えると、十分にパンク性を持っていたことは明らかだ。そして、パンクにとどまらず、パンクを軽いステップで踏み越え、ニューウェイヴの中心的存在となっていくのが、ポリスのポテンシャルなのだろう。ちなみに、この2曲はビデオにリンクさせといたので、まあ覗いてみてください。今見ると、その安直な作り方と3人のはしゃぎ方は、おいベース弾けよ、シンバル合ってねえよ…って笑える^^。

この79年のセカンド『Reggatta De Blanc(白いレガッタ)』は、“ロックンロールの馬力にうねるようなレゲエの持ち味を切れ目なく溶接するハイブリッド音楽の創造”というポリスのコンセプトが明確に打ち出されている。タイトルの「Reggatta」は、「regatta(レガッタ)」を「reggae(レゲエ)」っぽくしたものだと思うが、そこからも彼らのスタンスは明らかだ。しかし改めて聴くと、ホワイト・レゲエの曲が思ったより少ないことに驚かされる。「ポリスはレゲエ」という観念がいつの間にか肥大化していたようだ。

だからと言って、それがこのアルバムの価値を引き下げるものではない。「孤独のメッセージ」で始まるこのアルバムのグルーヴ感は、心地よく聴き手を揺さぶる。コープランドのオカズの多い切れのいいドラムに、サマーズの多彩なギター、スティングの力強いベースとハイトーン・ボーカルがかぶる。このセカンドとサードの『Zenyatta Mondatta』を90分テープに録音し、懐かしのウォークマン初号機に入れて、よく街中を歩いたものだ。ビデオクリップを見ているかのように、街はポリスのノリに染められていった。まさに快感!だ。

その後ポリスは、81年の『Ghost in the Machine』で音をいろいろと広げていくが、このアルバムのシンセの音は正直好きになれなかった。しかし「Every Little Thing She Does Is Magic」が個人的に大好きなのでよしとしよう。またこの「Ghost in the Machine」というタイトルは、アーサー・ケストラーの『機械の中の幽霊(The Ghost in the Machine)』から来たのだろうが、同様にこの本から『攻殻機動隊(The Ghost in the Shell)』が出ていることを考えると、いとをかし(笑)。そして83年には名作『Synchronicity』を発表。これだけクオリティの高いアルバムを5作続けて出した力量は、ホント大したものだと思う。

78年から83年という短期間だったが、ポリスの衝撃は深く刻み込まれた。まさにポリスは、ポスト・パンクの時代を駆け抜けるニューウェイヴの牽引者であった。

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2006年10月 9日 (月)

PiL:ニューウェイヴの雄

Second Edition #3.Public Image Ltd.:Metal Box

ロックは死んだ

ジョン・ライドンのこの言葉からニューウェイヴの門は開かれた。作られたパンクの虚像をぶっ飛ばし、商業主義に陥り形骸化したロックを葬り去ったジョン・ライドンが行き着いたところは、ニューウェイヴというロックの流れだった。ジョン・ライドンは、またしても制度化の迷宮に絡め取られることになる。

先を急ぐことなく、このメタル・ボックスを見るならば、そのアグレッシブな姿勢は評価されていい。先鋭的なパブリック・イメージの音は、まるでロックの墓碑銘を明らかにするように、我々の観念を切り裂いていく。・・・などとシリアスなノリで今回は始めてしまったが、それもジョン・ライドンに対する思い入れの強さなのか(笑

ワシがパブリック・イメージを聴いたのは、ファーストではなく、このセカンドが最初だった。これはワシのよくあるパターンで、流行を先取りするってことができず、いつも反応が鈍いがゆえにこうなってしまうんで、別に意図しているわけではない。このメタル・ボックスにはホント驚かされた。セックス・ピストルズのイメージしかなかったワシは、「え?え?ジョニー・ロットン?なに?」って感じだった。でもこのあたりのインパクトは、当時のリアルタイムでないとないのかもしれないとも思う。・・・あ、そうそう、当時ワシらは「PIL(ピル)」と呼ぶのはイモだし、「パブリック・イメージ・リミテッド」と呼ぶのは長すぎるので、「パブリック・イメージ」と呼んでいた。ここではその言い方を踏襲するので、よろしくね。

最初インパクトを与えたのは、ジャー・ウーブルの重いベースだった。その重い音色はロックを解体して、その破片を深い水の底に沈めていくようにも思えた。そこに、キース・レヴィンの神経質でフリーキーなギターと、マーティン・アトキンスの無機質なドラムがかぶるわけだが、何と言ってもジョン・ライドンだ。ジョン・ライドンのボーカルは、アジテーションのごとく、ラディカルな魂の叫びを発し、ロック・スターをずたずたに切り裂いていく。その歌詞においても、かつて「だまされた気分はどうだい」と言い放った、ジョン・ライドンのシニカルさは健在だ。まさに、イギリスならではのニューウェイヴのクールを体現していた。

Metalbox メタル・ボックスを聴いたあと、ファーストを聴いた。まだパンクを引きずっている嫌いのあるファーストと異なり、メタル・ボックスでは音の方向性がはっきりとしていることがわかった。こうした音の自信が、「できるだけいい音質で提供する」というメタル缶のコンセプトのつながっていくのだろう。そのころ、高価だったそのメタル缶を見上げては、「欲しいなぁ」と指をくわえて、よだれを垂らしていたワシを思い出す・・・って子供かワシは(笑

このあと、パブリック・イメージは「The Flowers of Romance」というすさまじい衝撃を残すことになるが、それについては稿を改めよう。

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2006年9月29日 (金)

トーキング・ヘッズ:ニューウェイヴの源流

Remain in Light #2.Talking Heads:Remain in Light

トーキング・ヘッズを聴いたのはいつのことだったか。今野の雄ちゃんがしきりに「ヘッズ、ヘッズ」と絶賛していたことを思い出す。ひねくれ者のワシは、あまり絶賛されると聴く気が失せてくるので、なんだかんだと後回しにしてしまった。結局聴いたのは、トムトム・クラブと一緒だったから、81年のことになる。そのとき、「何ですぐにヘッズを聴かなかったんだろう」と悔やんだものだが、まあこのへんはワシの性格ということでどうにもならんのだな・・・(;´Д`)

ニューウェイヴを語る上で、絶対に外せないのが、この「Remain in Light」だと思う。まあこれは、ワシが声高に言わなくても、だれしもが認めるところだろう。ニューウェイヴとは何かというと、パンク・ロックのあとのロック・ムーブメントくらいの漠然としたものだと思うが、そのリズムには特徴があった。レゲエ、スカビート、リズムマシーンの導入など、“リズム革命”とでも言えるものがそこにはあった。ヘッズの場合は、アフロビート中心に取り入れたわけだが、当時その試みには驚かされた。普通「ロックとの融合」とか言って下手なことをすると空回りして失速するものだが、ヘッズの場合すごいノリで迫ってきたのだ。

この「Remain in Light」は今聴いてもその新鮮さに驚かされる。それは、デヴィッド・バーンをはじめとするティナ、クリス、ジェリーの4人の力量はもちろんだが、エイドリアン・ブリューのギター、ブライアン・イーノのプロデュースが結晶してできたからだろう。

Tom Tom Club またティナとクリスのトムトム・クラブがいかしてた。明るいノリで、ラップ、エスニック。「Tom Tom Club」の存在感は今も残っている。「おしゃべり魔女」のらっさんさん、らっさんさん、くにくにくにくに、あっさんさん♥♥・・・はホントに聴いてるだけでほほ笑ましいのだ。ヽ(´ー`)ノ

ストップ・メイキング・センス(ニュージャケットバージョン) 極めつけは、映画「Stop Making Sense」だろう。何にもないステージにデヴィッド・バーンがラジカセを持って一人で出てきて「Psycho Killler」。ラジカセにけっつまずかないかなと見ていると、次はティナが出てきて、黒子然としたスタッフがステージを組み立て始める。クリス、ジェリーと出てきて、サポート・メンバーが勢ぞろいするころには、ステージも万全。バーンはくねくねダンスやライトスタンドのアクションなどしながら、「Once In A Lifetime」では痙攣ダンス。「Girlfriend Is Better」のだぼだぼスーツ、トムトム・クラブのティナの土着ダンスと、パフォーマンスも盛りだくさん。ライブのノリもあわせて、まさにヘッズの存在感を見せつけたという感じだ。またこの映画はカメラワーク・ライティング・編集のうまさも特筆すべきだろう。

「正気でいようとするなよ!(Stop Making Sense)」と言うセンスの良さ、ロックとアフロビートの融合、そしてそのノリのすごさ、ちょっと変人的パフォーマンス(笑)……トーキング・ヘッズはニューウェイヴの源流とも言える存在感なのだ。

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2006年9月 8日 (金)

ガブリエルⅢ:ゲートエコーの衝撃

Peter Gabriel 3: Melt #1.Peter Gabriel Ⅲ(Melt)

「ド、ド、タ、ド、ド、タッ! ド、ド、タ、ド、ド、タッ!……」

そのアルバムは衝撃的な音から始まった。ピーター・ガブリエルのサードアルバム、最初の曲「Intruder」のゲートエコーの音には驚かされた。……な、なんだ、このスネアの音は!って感じだった。

こんな音マネでは、あまりにもしょぼいので、「Intruder」のイントロをアップしてみる。まあ聴いてみてください。

 ♪「Intruder」を聴いてみる。

ピーター・ガブリエルというと、いろいろと思い入れがあるわけだが、そうしたことを抜きにしても、このゲートエコーの音はすごかった。このアルバムが発表されたのは80年。「できるだけいい音質を提供する」といったコンセプトで、レコードをメタル缶に入れた、パブリック・イメージの「メタル・ボックス」が発売されたのが同時期なので、これは録音技術が格段に進化した年と考えて間違いない。

ところで、そのゲートエコーだが、ワシはてっきりガブリエルⅢのプロデューサーであるスティーブ・リリーホワイトが作ったとばかり思っていたのだが、調べてみると、作ったのはエンジニアのヒュー・パジャムとフィル・コリンズ、それを一般化したのがスティーブ・リリーホワイトということだ。でもこうした音を求めていたピーター・ガブリエルなしには成り立たなかったわけで、やはりガブリエルなしにはゲートエコーはあり得なかったと思う。そもそもⅢでは、リズムから曲を作るスタイルをはじめ、シンバルとハイハットを取っ払ったり、ドラム・マシーンやフェアライト・シンセを導入したり、アフロ・リズムをやったりといった“リズム革命”が試行されていて、ゲートエコーはそこにぴったりはまったという感じなのだろう。ちなみに、この「ゲートエコー」は「ゲート・リバーブ」という言い方もあるが、その当時は「ゲートエコー」って言われていたので、その方がワシ的にはぴったりくる。・・・あ、意味内容の専門的な突っ込みは、ここでしないでね(笑

ガブリエルⅢというのは、全くマーケットを意識していない作りをしているが、ひょっとしたら、ピーター・ガブリエルの精神状態がかなりきていたのかもしれないと思ったりもする。Ⅲの詩は、それまでの詩よりも著しく内向し、疎外感や孤独感をかき立て、人々の苦悩が剥き出しにされる。「No Self-Control」「I Don't Remember」「Not One of Us」といった詩もそうだが、ジャケット写真もぐちゃぐちゃだ。ガブリエルのソロのジャケットというと、Ⅰ(Car)が車の中から目がピカー!で、Ⅱ(Scratch)が外界引き裂きギギギ…で、このMelt)が顔ぐちゃぐちゃ、Ⅳ(Security)がストーカーもどきの目出し帽で、Ⅴ(SO)でようやく素顔が現れるという(笑)、……何ともここまでやるかなぁという感じなのだが、一番悲惨な感じがするのがこのⅢだからだ。ちょっと時期的には後になるが、ビデオ・クリップの名作の一つである「I Don't Remember」を見ても、かなり病的な感じなので、やはり何かあったのかと考えたくもなるのだ。・・・もっともワシはこうした病的なところが好きなのだが(笑

またこのⅢでは、ロバート・フィリップ、ケイト・ブッシュ、ポール・ウェラー、デイブ・グレゴリーといったゲスト参加がある。これは、ピーター・ガブリエルにとって、いろいろと刺激になったことは間違いないだろう。そうした内側の病的悲壮感と、外側からの刺激的高揚感が、微妙な化学反応を起こし、このⅢという名作が生まれたのかもしれない。そしてまさに、このⅢの音こそは、ニューウェイヴのニューウェイヴたるものを顕現させたのだ。

理屈はともかく、このⅢの存在感を否定できるものはいない。そして、そこから見えてきたニューウェイヴの地平に、ワシは突っ込んでいくことになるのだが、そのころのことを我龍に書いていきたいと思うのであるのだ。

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