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あのころニューウェイヴ

2009年5月 2日 (土)

カルチャー・クラブ:ポップ化するニューウェイヴ

Culture Club:Colour by NumbersNew Wave #13.Culture Club : Colour by Numbers

ボーイ・ジョージBoy Georgeの奇抜な女装、そのファッションとメイク、そしてソウルフルな歌声とダンス・・・1982年「君は完璧さDo You Really Want to Hurt Me)」を初めて見たときの印象はもっぱらボーイ・ジョージだった。カルチャー・クラブCulture Clubは、ニューウェイヴをポップな方向へと大きく展開させていく。

カルチャー・クラブのブレイクには目を見張るものがある。1982年に「君は完璧さ」(全英1位/全米2位)がヒットすると、続いて「タイムTimeClock of the Heart)」(全英3位/全米2位)、「アイル・タンブル・4・ヤ!I'll Tumble 4 Ya)」 (全米9位)がヒット。1983年にセカンド・アルバム『カラー・バイ・ナンバーズColour by Numbers』(全英1位/全米2位)が発表されると、続いて「チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインドChurch of the Poison Mind)」(全英2位/全米10位)、「カーマは気まぐれKarma Chameleon)」(全英1位/全米1位)、「ヴィクティムズVictims)」(全英3位)、「ミス・ミー・ブラインドMiss Me Blind)」(全米5位)、「イッツ・ア・ミラクルIt's a Miracle)」(全英4位/全米13位)とヒットを飛ばす。「戦争のうたThe War Song)」(全英2位/全米17位)からは失速していくが、ここまでヒット曲を連続したのは特筆すべきだ。・・・日本語で歌ったから失速した、と思ってしまうのは気のせいか。。。

カルチャー・クラブのヒットにはヴィジュアル面が欠かせないが、それにはMTVの存在が大きかった。サービス精神旺盛な楽しませる作りはMTVあってこそだ。ボーイ・ジョージは、まさにMTV時代の申し子と言えるだろう。ワシが特にぶっとんだのは「ミス・ミー・ブラインド」。江戸愛情甘酒・・・って、おい! 日本かと思ったら、タイとコラボしてムエタイは出てくるし、「めらめらと燃えている」つうのは何なんだ・・・とゲラゲラ笑ってしまうのだが、これも親日家ボーイ・ジョージのサービス精神なのだろう。

カルチャー・クラブはやはりニューウェイヴだ。この時代多くのヒット曲を放って、ニューロマンティックと呼ばれたバンド、デュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、カジャグーグー、ユーリズミックスなどと比べると、カルチャー・クラブの楽曲はリズムやコンセプトで格段に秀でている。レゲエ、ダブ、カリプソ、ファンカラティーナから、ソウル、ゴスペル、ファンク、モータウンといった要素をポップに昇華していくカルチャー・クラブの感覚は見事としか言いようがない。カルチャー・クラブのポップさも、レコード会社の思惑に従うものではなく、時代の流れを先読みして作り上げていったもので、ボーイ・ジョージの個性を活かそうとしたジョン・モスの作戦勝ちといったところか。いずれにせよ、カルチャー・クラブが一時期ニューウェイヴの寵児となったことは否定できない。

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2009年4月 3日 (金)

イエロー・マジック・オーケストラ(YMO):テクノポップの台頭

Yellow Magic Orchestra : Solid State SurvivorNew Wave #12.Yellow Magic Orchestra : Solid State Survivor

テクノポップはニューウェイヴとワシは思っていないのだが、この時期の音楽としては無視できないので取り上げてみる。ということでYMO

イエロー・マジック・オーケストラYMOの登場は、ある種衝撃的だった。1978年のデビュー・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』はともかく、79年のセカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』の赤い人民服テクノカットには驚いた。そして、シンセサイザーやコンピュータを駆使した音楽、シンセサイザーの自動演奏、ヘッドフォンで電子音を聞きながら演奏するライブ、聴衆に対して媚を売ることなく黙々と楽器と向かい合う無表情な演奏・・・。かと言って決してサウンドは無機質ではなく、メロディは秀逸でポップだし、かなり計算されて作られていることが伝わってきた。

しかし考えてみると、ライブにシンセサイザーを持ち込むのはキース・エマーソンが最初だし、自動演奏もクラフトワークがやってたことだし、アルバム『BGM』で登場するゲートエコーピーター・ガブリエルが最初だし、厳密に言えば決して“オリジナル”とは言えない。それでもYMOの存在感が否定できないのは、テクノロジーをうまくポップに昇華したからだろう。まさに改良上手な日本人! 最新テクノロジーの国日本のイメージも、YMOの国際的知名度を上げるのに貢献したことだろう。でも結局のところ、細野晴臣のエスニック・神秘主義、坂本龍一のクラシック、高橋幸宏のファッションセンスなどが融合しなかったら、YMOの化学反応は起こり得なかったのだと思う。

テクノポップの台頭と共に、この時期象徴的だった2つの曲に触れてみる。まずは1979年、バグルスの「ラジオ・スターの悲劇Video Killed The Radio Star」だ。バグルスのこの曲が注目されたのは、きっちりと計算された音作りにあるというより、その歌詞だろう。ビデオクリップが中心になってくる時代を見越して、ラジオスターについて歌ったのは非常にタイムリーだった。1981年8月1日12時15分、MTVがアメリカで開局するが、MTVが最初にオンエアしたミュージックビデオが、この「ラジオ・スターの悲劇」だったという話。

もう1曲は、同じ1979年にヒットした、Mロビン・スコットの「ポップ・ミューヂックPop Muzik」。ポップ化し、商業主義にまみれた音楽を皮肉ったものだ。テクノポップの曲としては、初めての大ヒットになった曲だが、この曲自体がテクノポップに対する皮肉となっていることも事実。Mは完全に一発屋なわけだが、この「ポップ・ミューヂック」1曲だけでも、その存在感は否定できない。ポップ化と商業主義のバランスは、確かに難しいものがあるのだろう。

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2009年3月14日 (土)

1984年三つのライブ:ブラック・ウフル、スティール・パルス、キング・サニー・アデ

Black Uhuru : Tear It Up Live New Wave #11.Black Uhuru, Steel Pulse, King Sunny Ade

ブラック・ウフルの初来日は1984年7月。「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」での来日で、よみうりランドのオープンシアターEASTでライブを見た。真夏の暑い日射しが降り注ぐなか、ワシはその芝生の自由席にいた。

ブラック・ウフルと言えば、マイケル・ローズ、ダッキー・シンプソン、ピューマ・ジョーンズのボーカル・トリオに、“レゲエ・タクシー”たるスライ・アンド・ロビーのリズム隊。まずはスラロビ。真夏の暑い中で、ワシらを心地よく乗せてくれた。リズムのノリはもちろん最高なのだが、長いスティックを振り回してシンバルを叩くスライ・ダンバーと、マシンガンを持つようにベースを奏でるロビー・シェイクスピアの姿は、ヴィジュアル的にも魅せるものだった。

このときはアルバム『アンセム』が発売され、「ソリダリティ」がヒットするなど、ブラック・ウフルまさにノリノリの時期だった。ライブもノリノリなわけだが、そこで目立ったのはやはりマイケル・ローズだった。マイケル・ローズの声が、真夏の空に伸びやかにこだまするのを聴いていると、ブラック・ウフルはマイケル・ローズなしにはあり得ないと思ったものだった。ラスタのお兄ちゃんがぴょんぴょん跳ねてた、勝手気ままな芝生席で、気持ちよく乗らせてくれたブラック・ウフルだったのだ。

Steel Pulse : Earth Crisis スティール・パルスはブラック・ウフルと対照的で、その来日は1984年1月。雪の降る寒い日だった。実は酔っぱらっていて記憶がはなはだあいまい・・・(汗)、場所はネットで書かれていた渋谷公会堂や日本青年館ではなく、赤坂のニューラテンクォーターだった気がするワシなのだが、はなはだ自信がない・・・

とにかく覚えているのは、気持ちよくノリノリで踊りまくったことと、デヴィッド・ハインズのあの頭!だ。しかし、デヴィッド・ハインズがそのとき帽子をかぶっていたかどうかもあいまいで・・・「やはり人前でラスタの姿は見せないのだな」と思ったようなので、帽子をかぶっていた可能性が高い。友達と気持ちよく酒飲んで踊っていたので、申し訳ないが、これはまるでレポートにならない。ただ「おお~っ!」とか「最高!」などと、酔っぱらって叫んでいたことは事実なのだ(笑

調べてみると、スティール・パルスはアルバム『アース・クライシス』の発売前に、『ロッキン・オン』が招聘して来日したそうだ。『アース・クライシス』と言えば、ジャケットに描かれていたアンドロポフが発売1カ月もしないうちに亡くなるという、いわくつきのアルバムだった。

King Sunny Ade : Synchro System そして1984年10月に、とんでもない台風が上陸した。キング・サニー・アデ&ヒズ・アフリカン・ビーツ。場所は代々木第一体育館。仕事帰りにわくわくして、足を運んだものだ。

まさにジュジュ・ミュージックの迫力。トーキング・ドラムをはじめとする多くのドラム、パーカッションが刻むリズムのうねりに乗って、キング・サニー・アデの歌声が響く。超弩級のノリで踊りっぱなしで乗せられた。アルバム『シンクロ・システム』にある数分の曲が、どれも10分を超える長さになるのには正直驚いたが、これは元々長い曲をアルバムでは縮めているという話。そのすさまじいノリに、当然アンコールとなる。

そして、このアンコールがなんと1時間にも及んだ。このころになると、「おいおい、いつまでやるんだよ・・・」と苦笑い、こっちの体力が続かない。「やっぱ仕事帰りはきついよな・・・」とか思うが、全く下手な言い訳をしているようなのだ(笑)。とにかくキング・サニー・アデはすごかった。

1984年にスティール・パルスブラック・ウフルキング・サニー・アデと、レゲエ、アフロの代表的ミュージシャンが集中して来日したのは偶然なのかもしれないが、ワールド・ミュージックの関心が高まり、『ミュージック・マガジン』を読むことが当たり前の当時としては違和感のないものだった。結局のところ、言葉では表現しづらいので、YouTubeのビデオを観てほしいと思ってしまうワシであったのだ。

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2009年2月26日 (木)

UB40:ブリティッシュ・レゲエの胎動

UB40:Signing OffNew Wave #10.UB40 : Signing Off

UB40の『サイニング・オフSigning Off』にはハマった。UB40はバーミンガムで結成された白人黒人の混成バンド。『サイニング・オフ』は、1980年のUB40デビュー・アルバムだ。その『サイニング・オフ』から「タイラーTyler)」を。

 ♪「Tyler」を聴いてみる。

レゲエといえば、ボブ・マーリーしか聴いていなかったワシにとって、ブリティッシュ・レゲエの存在は新鮮だった。ジャマイカ移民がイギリスにいたこと自体知らなかったのだから、本当に驚いたものだ。

ブリティッシュ・レゲエには重さが付きまとう。「UB40」の名前自体が、イギリスの失業者給付金制度(Unemployment Benefit, Form 40)からとられたものだ。『サイニング・オフ』のジャケットデザインは失業手当申請書で、「タイラー」はアメリカの有色人種に対する冤罪への抗議の曲といったように、UB40は社会問題抜きには語れない。

そうしたシリアスな歌詞が、物憂げなサウンド、ダブに乗って歌われるところは妙に心地よかった。アリ・キャンベルの声がまたいいのだな。2トーン・スカのブームもあって、UB40はブレイクするが、UB40自体の持つ匂いに惹かれた人は少なくなかったはずだ。

UB40にハマったワシの場合、当時の環境もあったのかもしれない。北向きの窓から冷え込んだ空気を眺めるワシの部屋には、太陽サンサンのジャマイカよりも、重くシビアなブリティッシュ・レゲエの方が合っていた。その後、ブラック・ウフルスティール・パルスアスワドというブリティッシュ・レゲエ御三家を聴きまくる流れは、このときから生まれていた。



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2009年2月20日 (金)

パブリック・イメージ・リミテッド:カルト化するニューウェイヴ

PiL:The Flowers of RomanceNew Wave #9.Public Image Ltd. : The Flowers of Romance

アラーの叫び声を聞いたとき、あまりの衝撃に何が起きているのかわからなくなった。「フラワーズ・オブ・ロマンスThe Flowers of Romance」の衝撃はこうして始まった・・・

パブリック・イメージ・リミテッドPublic Image Ltd.の「フラワーズ・オブ・ロマンス」は衝撃的だった。パーカッション主体のアフリカン・ビートは重いリズムを刻み、ノイジーなギターとジョン・ライドンの呪術的な叫びが絡む。アニミズムの儀式に立ち会うかのような気分に襲われる。凝った書体で印刷された呪文のような歌詞は、ロートレアモンの『マルドロールの歌』を彷彿とさせ、現実世界を鋭く切り裂いていく。「フラワーズ・オブ・ロマンス」は、今までに聴いたことのないアルバムだった。

フラワーズ・オブ・ロマンス」は、1981年の文句なしのベスト・アルバムだった。そしてその衝撃は何だろうと思ったとき、ワシの頭には一つの単語が浮かんだ――カルト!

カルト化するニューウェイヴ――この流れは存在したように思う。典型的なのは、サイキックTVPsychic TVだ。

Psychic TV:Force the Hand of Chance サイキックTVを率い、その前身であるスロッビング・グリッスルのリーダーだったのが、ジェネシス・P-オリッジ。ジェネシス・P-オリッジは、「テンプル・オブ・サイキック・ユース」という教団を結成してしまう。

スロッビング・グリッスル(「脈打つ軟骨」という男根の隠語)自体が、そもそもカルト性を強く帯びていたバンドだった。スロッビング・グリッスルは、自らの音楽を“インダストリアル・ミュージック”と名づけ、工業化社会をテーマとして、具体音やノイズのコラージュ、前衛アート、呪詛的なヴォーカルやリズム・ボックスを多用する。そのサウンドは特異で、一部ではカリスマ的存在となっていた。

スロッビング・グリッスル解散後、ジェネシス・P-オリッジはサイキックTVを結成し、1982年にアルバム「Force the Hand of Chance」を発表する。このアルバムは、スロッビング・グリッスルのノイズのイメージをあざ笑うかのように、「Just Drifting」の美しいストリングスで始まる。この歌は人類終焉へのレクイエムと言われているが、それが「OV Power」の性エネルギー賛歌に高まっていく。人間のプリミティブな能力を抑圧することなく解放し制御することを意図するサイキックTVは、まさにカルトのパワーを示していた。

さて、パブリック・イメージである。「フラワーズ・オブ・ロマンス」を発表してから2年後の1983年、パブリック・イメージ・リミテッドは初来日を果たす。それは「This Is Not A Love Song」が発表されたころのことで、ワシも中野サンプラザに足を運んだ。

Annalisa」「Death Disco」「Banging the Door」「Under the House」といった曲は、まさにパブリック・イメージでよかったのだが、セックス・ピストルズの幻影を追い求め、自己のカリスマ性を誇示しようという感じで「アナーキー・イン・ザ・UK」を歌ったのには、ワシは正直幻滅した。ロック・スターを葬り去ったジョン・ライドンが、ロック・スターを求めているように見えたのだ。このとき、ジョン・ライドンは死んだのだろうか。

その後発表された「Rise」はよかったものの、ワシは日本公演の「アナーキー・イン・ザ・UK」のイメージを払拭できないでいた。2007年もセックス・ピストルズの再結成ライブが行われるが、ジョン・ライドンに「だまされた気分はどうだい」といったシニカルな発言を期待するのは、ワシだけだろうか。しかし、ジョン・ライドンがどのように変貌しようとも、ロマンスの花の香りが決して失われることはない。

2009年2月 3日 (火)

ピッグバック:華麗なるビート革命

ピッグバッグ(Pigbag):ドクター・ヘッケル・アンド・ミスター・ジャイヴ(Dr Heckle and Mr Jive) New Wave #8.Pigbag : Dr Heckle and Mr Jive

1982年、ホンダのスクーター「リード」のCMに衝撃を受けた。ピッグバッグの「パパズ・ゴット・ア・ブラン・ニュー・ピッグバッグ」が流れてきたからだ。

 ♪「Papa's Got A Brand New Pigbag」を聴いてみる。

ジェームス・ブラウンの曲をもじった、この「パパズ・ゴット・ア・ブラン・ニュー・ピッグバッグ」はピッグバッグのデビューシングルだったが、そのアフロ・ジャズ・ファンクはまさにクールだった。ワシが注目したのは、ホーンセクションよりもサイモン・アンダーウッドのベースだ。とにかく、サイモンのベースラインがひたすらカッコよかったのだ。

ピッグバッグ(Pigbag) この「パパズ・ゴット・ア・ブラン・ニュー・ピッグバッグ」は、今ではイングランドのサッカー・プレミアリーグに所属するミドゥルズブラの応援歌になっており、かなりスタンダードな曲として認知されているようだ。それを考えると、ワシが当時すぐさまピッグバッグの虜になってしまったのも、むべなるかなである。

同じ年に出たアルバムが「ドクター・ヘッケル・アンド・ミスター・ジャイヴDr Heckle and Mr Jive」。もう決定! その年の7月に行われた中野サンプラザの来日公演に飛びついた。それは「The Big Bean」が出たころで、ピッグバッグはまさに乗りに乗っていた。

来日公演は最初にサイモンが一言。
「スタンダップ!」
1曲目の「ゲッティング・アップ」からみんな総立ち。ノリノリの夜を過ごしたのだった。

 ♪「Getting Up」を聴いてみる。

2009年1月21日 (水)

ポップ・グループ:ラフ・トレードの象徴

The Pop Group : For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder ? New Wave #7.The Pop Group : For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder ?

ラフ・トレードはインディーズの走りだった。そのメンバーたるや多士済々……ポップ・グループ、キャバレー・ボルテール、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、ペル・ウブ、ザ・フォール、ディス・ヒート、ドーム、レッド・クレイヨラ、ザ・レインコーツ、モノクローム・セット、マキシマム・ジョイ、ピッグバッグ、ザ・スリッツ、デルタ5、リリプット、ローラ・ロジック、TVパーソナリティズ、バージン・プリューンズ、クラス、スロッビング・グリッスル、そして、スクリッティ・ポリッティ。ラフ・トレードはまさにニューウェイヴの発信拠点と言えた。

そして、ラフ・トレードの日本編集のオムニバス「クリア・カット」がいかしてた。1はパッとした印象がないが、2の「サニー・デイ」はピッグバッグ中心に、マキシマム・ジョイ、キャバレー・ボルテール、ローラ・ロジックというクールな布陣。3の「サマー・プレイス」は、トゥインクル・ブラザース、ヒュー・マンデル、ジャッキー・ミットー、タンタン、ドン・カルロスというレゲエ特選盤。4の「フラワー・ポット」は、ザ・スリッツ、ビビアン・ゴールドマン、デルタ5、リリプット、ザ・レインコーツ、ローラ・ロジック、レッド・クレイヨラ、ヤング・マーブル・ジャイアンツという女性アーティスト特集。

ラフ・トレード(Rough Trade) 82年の夏だったが、この「クリア・カット」の2と3を90分のカセットに入れて、聴きまくっていたことを思い出す。友達が遊びに来たときにかけるテープはいつもこれだった。なぜって…それは言うまでもなく、当時一番クールな音だったから。ワシのお気に入りは、ピッグバッグとローラ・ロジックだったっけ。

このころ、日本でもナニゲにパンク・ニューウェイヴは元気だった。有名どころで言ったら、フリクション、スターリン、アナーキー、暗黒大陸じゃがたら、ゼルダ、ゲルニカ……。インディーズをたどっていくと、メンバーが100人いるパンゴってバンドまであったりして……とにかくアグレッシブなバンドが出てきた時代だった。

そして話はポップ・グループ。ポップ・グループの80年のセカンドアルバム「For How Much Longer ...」は、ラフ・トレードの象徴だった。ラフ・トレードの宣伝には、必ずこのジャケットが打ち出されていたものだ。

音はそうした宣伝に違わないほど、アグレッシブで衝撃的だった。メッセージもノイズもファンクもパンクもダブも、高いテンションでたたき込まれる。ブリストル出身のアヴァンギャルド・ダブ・ファンク・バンドの面目躍如といったところか。ワシは79年の「Y(最後の警告)」よりも、こっちのアルバムの印象が強い。しかし、頑なな政治的姿勢を貫くボーカルのマーク・スチュワートと他のメンバーとの摩擦が次第に大きくなり、ベースのサイモン・アンダーウッドがバンドを離れた後のアルバムだということに驚く。このセカンドアルバム発売直後、ポップ・グループは分裂し、事実上の解散となってしまうが、このセカンドは消えかかる直前の灯火のきらめきだったのだろうか。

ポップ・グループというと、やはりその政治的アジテーションを無視するわけにはいかない。セカンドの「オレたちゃいつまで大量殺人に耐えられるか」というタイトル、「戦火は消えない」「狂気の時」などの曲、「オレたちは娼婦だ!」という叫びなどが思い浮かぶ。そしてもっと思い出そうとすると、なぜかクラスの「ベイビー、泣いてる。ベイビー、泣いてる…」「ナガサキ・ナイトメア、ナガサキ・ナイトメア…」なんてのが出てきたりして、はなはだ記憶があいまいであることに気づく……英語が苦手で音だけ聴いていた証拠だな(笑)。いずれにしても、ポップ・グループのアグレッシブな音が、ニューウェイヴに大きな痕跡を残したことはだれも否定できない。

2009年1月20日 (火)

ギャング・オブ・フォー:ソリッドなギター

Gang of Four : Solid Gold New Wave #6.Gang of Four : Solid Gold

そのギターに魅せられた。ギャング・オブ・フォーの『ソリッド・ゴールド』1曲目「パラライズドParalysed」だ。

 ♪「Paralysed」を聴いてみる。

スネアのリムショットにかぶるアンディ・ギルのカッティング、そしてこの間(ま)。ルービンシュタインが「音符の弾きかたに違いがあるわけではない。休止、そう休止部分なんだよ」と語っているが、まさに休止部分が重要であることを認識させる……という理屈より前に衝撃的だった。

ワシがギャング・オブ・フォーを最初に聴いたのは『ソリッド・ゴールド』だったのだが、完成された印象の強い『ソリッド・ゴールド』よりも、ファースト『エンターテイメント!』の方がギターの衝撃度はあると思う。ソリッドにカッティングされたアグレッシブなギター……なんて書くと陳腐な表現になってしまうきらいがあるが、聴いてみれば明々白々。アンディ・ギルのギターに、ジョン・キングの政治的メッセージとファンク・ビートがかぶるラディカルな緊張感は、ダイレクトにこの世界のシステムを切り裂いていく。その亀裂こそが、まさにニューウェイヴのレーゾンデートルと言えた。後のバンドに与えた影響力から見ても、この評価は決して誇張ではない。

そして『ソリッド・ゴールド』だが、このアルバムは決してファーストに劣るわけではない。バンドの方向性が明確になり、贅肉をそぎ落とした印象がワシにはある。そこにはメンバーの自負も感じられる。その中の「What We All Want」が、イタリアかどこかのファッションショーで使われているのを当時テレビで見たことがあったが、それだけバンドの評価も上がっていたのだろう。ギターの切れ味は相変わらずだ。

その後、ギャング・オブ・フォーは失速。結局2枚のアルバムだけが聴き応えのあるところとなってしまう。しかし、この“四人組”が現実をアグレッシブに切り裂いた事実は残る。ギャング・オブ・フォーが残した大きな足跡は、ロックにおいてだれも否定することはできない。



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2007年5月 5日 (土)

U2:ストラトの系譜

New Wave #5.U2 : WAR

ニューウェイヴがストラトというイメージができたのは、いつからだろう。まず思い出すのは、U2エッジだ。エッジのカッティングやディレイはカッコよかったし、これこそニューウェイヴのギターだと思ったものだ。

U2のアルバムと言えば、やはり「WAR」だろう。最初から最後までたるむことのない、このアルバムの完成度は非常に高く、ワシの中では「Boy」や「October」の印象を吹っ飛ばしてしまっている。「WAR」について、ボノは「『WAR』とはいろんなレベルにある『戦い』を扱ったものなんだ。……確かに『戦い』がテーマだ。それも、何かを壊して新しいものを築いていくためのもの。決して否定的なアルバムなんかじゃないんだよ」と言い、その重いテーマを歌うのだが、BGM的に聞き流していたワシには歌詞がよくわかっていない。それでも「WAR」の音には魅せられた。

エッジのストラトが印象深いのは、ひょっとしたら「New Year's Day」のビデオクリップなのかもしれない。雪の中での演奏に、戦闘シーンがかぶる。乗馬シーンにピアノが鳴る。うは、寒そう…と思いつつ見ているが(でもワシはこの寒い中での演奏シーンって、やたらと好きなんだな。うん)、ボノの力強いボーカルもあって妙に惹かれた。そこに奏でられるエッジの印象深いギタープレイが心地よい。やはり「New Year's Day」は絶品だ。

U2の「WAR」は83年なので、その前にストラトのイメージはなかったのかと考えると、やはり出てくるのはエイドリアン・ブリューだ。

キング・クリムゾン:ディシプリン(Discipline) エイドリアン・ブリューを知ったのは、トーキング・ヘッズのときだったが、やはり大事件だったのは新生キング・クリムゾンだ。エイドリアンの加入で、クリムゾンがヘッズ化したと言われたりもするが、いつもアグレッシブで、プログレッシブを求めるロバート・フィリップの嗅覚と度量の広さに、ワシは感心する。この「Elephant Talk」のライブでのロバート・フィリップの笑顔を見ると、まさに彼の計算どおりにエイドリアンがはまったという感じだ――超右脳的ギタリスト・エイドリアン・ブリューに、超左脳的ギタリスト・ロバート・フィリップということか。

それにしても「Discipline」でのエイドリアンのギターには、度胆を抜かれた。え゛、これゾウかよ・・・。ソロアルバム「ローン・ライノウ」では、ネコとサイ。動物の鳴き声は、ダイキンのCM()で、その後お茶の間でも有名になるが、当時はびっくりしたものだ。まあ、ゾウに限らず、他の曲においても、エイドリアンの独創的・変幻自在のギターはホントすごい。まさにキング・クリムゾンの復活だった。

思い起こしてみると、エイドリアン・ブリューとエッジが、ワシのニューウェイヴのギターのイメージなのだった。・・・おっと、アンディ・ギルを忘れてはいけない。

2006年11月27日 (月)

ポリス:ニューウェイヴの牽引者

New Wave #4.The Police : Reggatta de Blanc

パンクとニューウェイヴの最大の違いは、その演奏力だろう。演奏力の違いを見せつけたバンドとして、ワシはポリスを思い浮かべる。パンクを指向した彼らが演奏力をひけらかすことはなかったが、桃李もの言わざれども…演奏力の高さはだれが聴いても自然とわかってしまうのだ。

ジャズロック風味のスティングのベースとボーカル、元カーヴド・エアーのスチュワート・コープランドのエキサイティングなドラム、元ニューアニマルズ、ソフト・マシーンのアンディ・サマーズのマルチなギタープレイ。この3人が織りなすレゲエパンクは、正直言ってカッコよかった。80年前後は、ポリスを聴いていることがまず前提みたいなところもあった。ジミヘンクリームのように、3人が責任と緊張感の中で鎬(しのぎ)を削るギタートリオ――コープランドが提示したこの戦略が、3人の才能をうまく引き出したと言えるのかもしれない。

ポリスの洗練された演奏が、パンクではない、パンクを利用したなどと言われたりもするが、78年のファースト『Outlandos d'Amour』で、「ロクサーヌ」が売春婦の名をタイトルにしたことで放送禁止、「キャント・スタンド・ルージング・ユー」が自殺をテーマにしているということで放送禁止となっていることなどを考えると、十分にパンク性を持っていたことは明らかだ。そして、パンクにとどまらず、パンクを軽いステップで踏み越え、ニューウェイヴの中心的存在となっていくのが、ポリスのポテンシャルなのだろう。ちなみに、この2曲はビデオにリンクさせといたので、まあ覗いてみてください。今見ると、その安直な作り方と3人のはしゃぎ方は、おいベース弾けよ、シンバル合ってねえよ…って笑える^^。

この79年のセカンド『Reggatta De Blanc白いレガッタ)』は、“ロックンロールの馬力にうねるようなレゲエの持ち味を切れ目なく溶接するハイブリッド音楽の創造”というポリスのコンセプトが明確に打ち出されている。タイトルの「Reggatta」は、「regatta(レガッタ)」を「reggae(レゲエ)」っぽくしたものだと思うが、そこからも彼らのスタンスは明らかだ。しかし改めて聴くと、ホワイト・レゲエの曲が思ったより少ないことに驚かされる。「ポリスはレゲエ」という観念がいつの間にか肥大化していたようだ。

だからと言って、それがこのアルバムの価値を引き下げるものではない。「孤独のメッセージ」で始まるこのアルバムのグルーヴ感は、心地よく聴き手を揺さぶる。コープランドのオカズの多い切れのいいドラムに、サマーズの多彩なギター、スティングの力強いベースとハイトーン・ボーカルがかぶる。このセカンドとサードの『Zenyatta Mondatta』を90分テープに録音し、懐かしのウォークマン初号機に入れて、よく街中を歩いたものだ。ビデオクリップを見ているかのように、街はポリスのノリに染められていった。まさに快感!だ。

その後ポリスは、81年の『Ghost in the Machine』で音をいろいろと広げていくが、このアルバムのシンセの音は正直好きになれなかった。しかし「Every Little Thing She Does Is Magic」が個人的に大好きなのでよしとしよう。またこの「Ghost in the Machine」というタイトルは、アーサー・ケストラーの『機械の中の幽霊(The Ghost in the Machine)』から来たのだろうが、同様にこの本から『攻殻機動隊(The Ghost in the Shell)』が出ていることを考えると、いとをかし(笑)。そして83年には名作『Synchronicity』を発表。これだけクオリティの高いアルバムを5作続けて出した力量は、ホント大したものだと思う。

78年から83年という短期間だったが、ポリスの衝撃は深く刻み込まれた。まさにポリスは、ポスト・パンクの時代を駆け抜けるニューウェイヴの牽引者であった。

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