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古事記・聖書等に見る古代日本・古代ユダヤの真実

【1】 古事記・島産み

是に、伊耶那岐命(イザナギのみこと)の先づ言はく、「あなにやし、えをとめを」といひ、後に妹伊耶那美命(イザナミのみこと)の言ひしく、「あなにやし、えをとこを」といひき。かく言ひ竟りて御合して、生みし子は、淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)。次に、伊予之二名島(いよのふたなのしま)を生みき。この島は、身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。故、伊予国は愛比売と謂ひ、讃岐国は飯依比古と謂ひ、粟国は大宜都比売と謂ひ、土左国は建依別と謂ふ。次に、隠伎之三子島(おきのみつごのしま)を生みき。亦の名は天之忍許呂別。次に、筑紫島(つくしのしま)を生みき。この島もまた、身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。故、筑紫国は白日別と謂ひ、豊国は豊日別と謂ひ、肥国は建日向日豊久士比泥別と謂ひ、熊曾国は建日別と謂ふ。次に、伊伎島(いきのしま)を生みき。亦の名は天比登都柱と謂ふ。次に、津島(つしま)を生みき。亦の名は天之狭手依比売と謂ふ。次に、佐度島(さどのしま)を生みき。次に、大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)を生みき。亦の名は天御虚空豊秋津根別と謂ふ。故、この八つの島を先づ生めるによりて、大八島国(おおやしまくに)と謂ふ。

【2】 契約の箱 (出エジプト記 25章 9節~20節)

 すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。
 彼らはアカシヤ材で箱を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。
 あなたは純金でこれをおおわなければならない。すなわち内外ともにこれをおおい、その上の周囲に金の飾り縁を造らなければならない。
 また金の環四つを鋳て、その四すみに取り付けなければならない。すなわち二つの環をこちら側に、二つの環をあちら側に付けなければならない。
 またアカシヤ材の棒を造り、金でこれをおおわなければならない。
 そしてその棒を箱の側面の環に通し、それで箱をかつがなければならない。棒は箱の環に差して置き、それを抜き放してはならない。
 そしてその箱に、わたしがあなたに与えるあかしの板を納めなければならない。
 また純金の贖いの座を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。
 また二つの金のケルビムを造らなければならない。これを打物造りとし、贖いの座の両端に置かなければならない。一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に造り、ケルビムを贖いの座の一部としてその両端に造らなければならない。
 ケルビムは翼を高く伸べ、その翼をもって贖いの座をおおい、顔は互にむかい合い、ケルビムの顔は贖いの座にむかわなければならない。

【3】 ダビデと契約の箱 (サムエル記下 6章 1節~19節)

 ダビデは更にイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。ダビデは彼に従うすべての兵士と共にバアレ・ユダから出発した。それは、ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱をそこから運び上げるためであった。
 彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた。
 彼らは丘の上のアビナダブの家から神の箱を載せた車を運び出し、アフヨは箱の前を進んだ。
 ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。
 一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。
 ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ。
 ダビデも怒った。主がウザを打ち砕かれたためである。その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている。
 その日、ダビデは主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言って、ダビデの町、自分のもとに主の箱を移すことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。
 三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された。
 神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。
 主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。
 主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は亜麻布のエポデを着けていた。ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。
 主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ。
 人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。
 焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分の家に帰って行った。

【4】 イザヤと契約の箱 (イザヤ書 39章 1節~8節)

 そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダク・バラダンは手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病気であったが、治ったことを聞いたからである。
 ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。
 時に預言者イザヤはヒゼキヤ王のもとに来て言った、「あの人々は何を言いましたか。どこから来たのですか」。
 ヒゼキヤは言った、「彼らは遠い国から、すなわちバビロンから来たのです」。
 イザヤは言った、「彼らは、あなたの家で何を見ましたか」。
 ヒゼキヤは答えて言った、「彼らは、わたしの家にある物を皆見ました。倉庫のうちには、彼らに見せなかった物は一つもありません」。
 そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「万軍の主の言葉を聞きなさい。見よ、すべてあなたの家にある物およびあなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物がバビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはない、と主が言われます。また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られて、バビロンの王の宮殿において宦官となるでしょう」。
 ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。
 彼は「少なくとも自分が世にある間は太平と安全があるだろう」と思ったからである。

【5】 ヤコブと天使の相撲 (創世記 32章 22節~32節)

 こうして、贈り物を先に行かせ、ヤコブ自身は、その夜、野営地にとどまった。その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。
 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。
 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。
 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。
 こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。

【6】 預言者イザヤとイザナギ・イザナミ (『日本へブル詩歌の研究』川守田英二)

 イザナギイザナミの「イザ」は先ず預言者イザヤの「イザ」を離れて考えられない
 その意味は「彼をして救わしめよ」という意味である。ヘブル語の用法では三人称を間接に用いるのは二人称を直接に用いて「汝救え」というよりも慇懃な事になっているので、「彼をして救わしめよ」は「エホバよ救い給え」という意味になる。
 つぎは「ナギ」は「ナギイド」のドが脱落したもので、ヘブル文法では語尾省略語(apocopated)といっている。「ナギイド モーセ」(伊勢音頭のナンデモーセ)即ち「指導者モーセ」の称号から始まって後にはダビデ、ソロモンの時代にはイスラエルの「支配者」の位名となり、ダビデ王統の称号となった。東北民謡は「ナギァド ヤハーラ ヤウ」(支配者をしてエホバを讃えしめよ)と唄うべき所を「ナーギァ ヤハーラヤウ」と転訛(てんか)させて歌うこともある。この「ナギ」はニニギの「ニギ」、ニギハヤビの「ニギ」、ヒコナギサの「ナギ」、神官の「禰宜(ねぎ)」となっている。
 故にイザナギとは「イスラエルの主権者ダビデの王統を救い給え」との意味である
 「ナミ」は「慰め」という意味で、ダビデ王の母祖の名で日本語の聖書には「ナヲミ」と出ている。故にイザナミとは「ナヲミの家を救い給え」という意味になる
 故にナギ、ナミ二尊は共にダビデ王統を継続せしめんとして名を負わせられたイザヤの「聖裔」「残余者」の東漸した、その群の指導者でなければならない

【7】 二つのヤマト (『釈日本紀』)

問う。倭国の中には南北の二倭が有るが、其の意は如何?

答える。師は説く。延喜(えんぎ)の説に言う。北倭は此の国と為すべし。南倭は女国云々と。此の説すでに証拠無く、全てを得るを為していない。又、南北の二倭は、是、本朝は南北の邊州(へんしゅう)なり。指せる別の由は無い。

問う。此の国を東海の女国と謂(い)。又、東海の姫氏(ひめし)国と謂う。もしや、其の説ありや?

答える。師は説く。梁(りょう)の時、寶志和尚(ほうしおしょう)の讖(しん)に、東海の姫氏国と言うは、倭国の名なりと。今、案ずるに、天照大神(あまてらすおおみかみ)は始祖の陰神(めがみ)なり、神功(じんぐう)皇后は又女王なり。此れ等の義に就き、或いは女国と謂う。或いは姫氏国と称するなり。東海と謂うは、日本は大唐より東方に当たり、これの間を唐朝が名づくる所なり。

[訳]

問い 倭国の中には南北二つの倭(やまと)があるが、これはどういうわけか?

答え 延喜の説に「北倭(きたのやまと)は、この国と為すべし。南倭(みなみのやまと)は女国と云々」とある。しかし、今ではこの説には完璧な証拠がない。また南北の二倭(ふたつのやまと)というのは、倭国が南北に長い島だからである。別の理由からではない。

問い この国を「東海の女国」とか、「東海の姫氏国」と言うが、それについてはどう説明するのか?

答え 梁(りょう)の時代、寶志和尚(ほうしおしょう)の讖(しん)(予言めいた鋭い文句。謎めいた言葉で、未来のことを記したもの)に「東海の姫氏国」とあるのは、倭国の名である。今、考えてみれば、天照大神は始祖の女神である。神功皇后もまた女王である。そういう意味で、「女国」と言い、あるいは「姫氏国」と言うのだ。「東海」と言うのは、倭国が唐よりも東方に当たるから、この間(海)を唐王朝が名づけたものである。

2つのヤマト関連図:南倭(阿波)=北倭(大和)。この二つのヤマト(山人)の国の存在は当時の中国ではすでに知られていた。

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コメント

 アホか?折角おとなしかった日本人の琴線に触れる政策は失敗した。日本列島を作ったといわれる神が、大地母神であるという認識に疎かったのでは?RC氏もさぞお怒りだと思われますが。

 そうだね、ロスチャイルドは日本人の多くに名をさらけ出しました。日本銀行の存立根拠にも疑いの目が向けられ始めています。なぜ日本近郊は震災復興のため紙幣を増刷しないのか?ほとんど意味が分かりません。あえて言うと国際金融家に意思を乗っ取られ日本の銀行ではもはやないのではと思いたくなります。とにかく酷く遅く小規模すぎる。

 神道的空間をロス茶が洗脳し続けている。おかしな神道学者、おかしな考古学者、おかしな歴史学者が日本の歴史を捻じ曲げている。ロス茶退散!!

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