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2011年2月11日 (金)

邪馬台国は四国にあった!邪馬台国四国山上説を追う!

大杉博:天皇家の大秘密政策―大和朝廷の出自隠し1300年の密謀 邪馬台国は四国にあった大和朝廷の大秘密政策によって四国は死国にされていた

大杉博氏の著書、『天皇家の大秘密政策―大和朝廷の出自隠し1300年の密謀』『古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた「ユダヤの秘宝」と四国・剣山の謎』『邪馬台国はまちがいなく四国にあった』を元に、邪馬台国四国山上説を紹介してみたい。

大杉氏は、「魏志倭人伝」などの中国史書記紀(『古事記』『日本書紀』)によって邪馬台国四国山上説を証明している。今回は紙幅の関係上、「魏志倭人伝」に焦点を当てて話を進めたい。

魏志倭人伝」(正しくは『三国志魏書東夷伝倭人の条)に、邪馬台国への行程邪馬台国の特徴・様子を記したくだりがあることは、人口に膾炙するところ。この(1)邪馬台国への行程(2)邪馬台国の特徴をクリアしないと、当然「邪馬台国が○○にあった」などとは言えないことになる。

■邪馬台国への行程

魏志倭人伝」は邪馬台国への行程を次のように記している。

  • 帯方郡―(南→東水行7000余里狗邪韓国渡海1000余里対馬国渡海1000余里一大国渡海1000余里末廬国東南陸行500里伊都国東南100里奴国100里不弥国水行20日投馬国水行10日陸行1月邪馬台国

混一疆理歴代国都之図。日本列島が右下がりに傾いている。 まず方位についてだが、明代に朝鮮で作成された「混一疆理歴代国都之図」などに見られるように、当時の中国では日本列島を右下がりに認識していたことを踏まえなければならない。つまり、とあるのは実際には「」、西は「」、は「」、は「西」と、そのように「魏志倭人伝」では認識していたということである。そこで、九州地方に当たる末廬国以降の方位を現在の方位へ直すと次のようになる。

  • 末廬国北東陸行500里伊都国北東100里奴国100里不弥国水行20日投馬国水行10日陸行1月邪馬台国

ここにおいて、方角も距離も全く合わない邪馬台国九州説は間違いということになる。

次に、投馬国から邪馬台国に至るところに「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」という記述がある。この「水行十日陸行一月」は、中国人学者・謝銘仁氏によれば、『水行十日陸行一月」のところは文脈的にはすらりと「OR式」で読めますよ。ぜんぜん無理がないですよ』(『歴史と旅・臨時増刊号』昭和59年8月20日)とのこと。つまり「水行十日あるいは陸行一月水行すれば十日だが、陸行すれば一月かかる」という読み方である。

ここにおいて、邪馬台国畿内説は間違いということになる。邪馬台国畿内説は「水行十日と陸行一月」と、ANDで読まなければ成り立たないからである。大体において、この「魏志倭人伝」は途中立ち寄る場所が明記されているのであって、「水行十日と陸行一月」とした場合、水行十日したあとに立ち寄った場所が書かれていないことは大いなる矛盾である。

「魏志倭人伝」に記された邪馬台国への行程。それは四国徳島に至る! 以上、魏志倭人伝」の邪馬台国への行程を素直に読めば畿内説九州説も当てはまらないことがよくわかる。そこで四国山上説の登場だが、「魏志倭人伝の途中国の描写も踏まえれば、途中国は次の場所に比定できる。

  • 狗邪韓国=釜山あたり
  • 対馬国=対馬
  • 一大国一支国)=壱岐
  • 末廬国=福岡県唐津市あたり
  • 伊都国=福岡県糸島市前原あたり
  • 奴国=福岡県福岡市あたり
  • 不弥国=福岡県宗像市あたり
  • 投馬国=高知県宿毛市・中村市(現:四万十市)あたり
  • 邪馬台国=玄関港は徳島県徳島市あたり

■邪馬台国の特徴

1.「邪馬台国」という名称

おかしな馬の背を歩くような四国の山並みを走る幹線道路(写真は剣山)邪馬台国」は「おかしな馬を台にしたような国」という意味で字が当てられている。これは、当時の中国人が倭国女王国)を見てイメージしたものだが、四国の山上は山焼きの風習によって山上に樹木がなく、高地性集落を結ぶ幹線道路が山並みの頂上を縦走するように付けられていた。その道路を歩くと、変な馬の背中を歩いているような感じになり、「邪馬台国」という文字に符合する。

2.女王国の周辺国

斯馬国以下21の国々を従える邪馬台国(女王国、倭国)の図 邪馬台国には、斯馬国以下21の国々が外側からくっついたように存在していた。魏志倭人伝」には「此れ女王の境界の尽きた所なり」とあり、『広輿図』には「皆、倭国の境に附いている」とある。この21の国々の場所を比定すると次のようになるが、こうした場所が比定できるのは四国だけである(詳細は大杉氏の著書参照)。

  • 斯馬国(淡路島)、己百支国(香川県大川町あたり)、伊邪国(香川県三木町あたり)、都支国(香川県飯山町あたり)、弥奴国(香川県高瀬町あたり)、好古都国(香川県山本町あたり)、不呼国(愛媛県川之江市あたり)、姐奴国(愛媛県新居浜市あたり)、対蘇国(愛媛県西条市あたり)、蘇奴国(愛媛県東予市あたり)、呼邑国(愛媛県今治市あたり)、華奴蘇奴国(愛媛県北条市あたり)、鬼国(愛媛県松山市あたり)、為吾国(愛媛県伊予市あたり)、鬼奴国(愛媛県大洲市あたり)、邪馬国(愛媛県三間町あたり)、躬臣国(高知県窪川町あたり)、巴利国(高知県須崎市あたり)、支惟国(高知県越知町あたり)、烏奴国(高知県伊野町あたり)、奴国(高知県南国市あたり)。

3.邪馬台国の風俗・習慣・物産はみな四国山上に収斂する

魏志倭人伝」には、邪馬台国の生活の様子が実に生き生きと描写されているが、それらを四国山上に当てはめると次のようになる=証拠能力が特に大きいと思われるもの、=証拠能力がかなり大きいもの、=符合するもの、=矛盾しないと思われるもの、×=矛盾するもの)

  • 黥面文身(いれずみ)す/断髪文身/木綿(ゆう)を以て頭にかけ/禾(か)や稲をうえる紵麻(ちょま)をうえる/蚕桑緝績(さんそうしゅうせき)する/牛なし馬なし虎なし/豹なし/羊なし/鵲(かささぎ)なし/矛(ほこ)を用う/楯(たて)を用う/木弓を用う/温暖/朱丹を以て其の身体に塗る/[竹/邊] ヘン豆(たかつき)を用う/棺有るも槨無く真珠を出す青玉を出す/其の山には丹有り[木冉] ダン(くす)あり/杼(とち)あり/豫樟(くすのき)あり/[木柔] ジュウ(ぼけ)あり/櫪(くぬぎ)あり/投(かや)あり/橿(かし)あり/烏号(やまぐわ)あり/楓香(おかつら)あり/篠(しの)あり/[竹/幹] カン(やだけ)あり/桃支(かずらだけ)あり/薑(しょうが)あり/橘(たちばな)あり/椒(さんしょう)あり/[サ/襄] ジョウ荷(みょうが)あり/彌猿(おおざる)あり/黒雉(くろきじ)あり/骨を灼きて卜す/酒を嗜む/手を摶(う)ち以て跪拝(きはい)に当つ/両手は地に拠り、之が恭敬を為す/対応の声を噫(あい)と曰う。

邪馬台国の特定に関係ないものを除いたこの45項目において、が39項目と、こんなに一致する場所は他にあるだろうか。

特に、「牛馬なし」とあるが、四国山上には飲用の池が多数存在し、それが糞尿で汚されないように牛馬を上げなかったこと(九州や奈良からは牛馬の骨や化石が出土)、「山に丹有り」と邪馬台国に辰砂(水銀朱)が出る山があるとの記述は、徳島県阿南市の若杉山遺跡のみに見られるものであること、「禾稲かとうをうえる」というのは「(あわ)・(ひえ)・稲などを植える」という意味で、四国が粟と稗の産地であり、七万余戸の邪馬台国の食糧自給を満たすに足る地域であること(奈良盆地や九州では食糧を満たせない)、「棺有るも槨無く」は阿波に多く出土する箱式石棺を指すこと、「真珠を出す」は徳島の海で真珠が採れていたのを指すことなどは、邪馬台国四国山上説を裏付ける重要な記述であろう。

そもそも、邪馬台国は「七万余戸ばかり」とあるように大きな国だ。そして、斯馬国などの21の国々がその境界にくっついて存在していたのである。こうした邪馬台国の特徴を子細に眺めれば、畿内説九州説は当てはまらず、四国山上説が真実であることがわかるのである。

■四国は死国にされていた

四国にはまだまだが多い。宮廷の祭祀を司る阿波忌部一族天皇の即位大嘗祭のときに昔から麁服(あらたえ)を貢進している徳島県木屋平村の三木家(四国がなければ天皇は即位できないのだ)、徳島県国府町の八倉比売神社にある卑弥呼の墓四国八十八札所などで空海が隠そうとした剣山・・・。

ここで『古事記』の島産みを取り上げたい。伊邪那岐命(イザナギのみこと)と伊邪那美命(イザナミのみこと)のくだりである。

かく言ひ竟りて御合して、生みし子は、淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)。次に、伊予之二名島(いよのふたなのしま)を生みき。この島は、身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。故、伊予国は愛比売と謂ひ、讃岐国は飯依比古と謂ひ、粟国は大宜都比売と謂ひ、土左国は建依別と謂ふ。次に、隠伎之三子島(おきのみつごのしま)を生みき。亦の名は天之忍許呂別。次に、筑紫島(つくしのしま)を生みき。この島もまた、身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。故、筑紫国は白日別と謂ひ、豊国は豊日別と謂ひ、肥国は建日向日豊久士比泥別と謂ひ、熊曾国は建日別と謂ふ。次に、伊伎島(いきのしま)を生みき。亦の名は天比登都柱と謂ふ。次に、津島(つしま)を生みき。亦の名は天之狭手依比売と謂ふ。次に、佐度島(さどのしま)を生みき。次に、大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)を生みき。亦の名は天御虚空豊秋津根別と謂ふ。故、この八つの島を先づ生めるによりて、大八島国(おおやしまくに)と謂ふ。

ここでは、淡路島四国隠岐島九州壱岐島対馬佐渡島本州という順に日本の島が誕生したとある。ではどうして、一番が淡路島で、二番が四国なのか? ここには大きな謎が隠されていると思えてならない。

次回は、契約の箱と剣山、そして大和朝廷の大秘密政策について書いてみたい。では最後に、2008年3月21日「新説!?みのもんたの日本ミステリー!」で取り上げられた邪馬台国四国山上説の動画をどうぞ。


邪馬台国「四国・徳島」説 1 



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