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2009年3月14日 (土)

1984年三つのライブ:ブラック・ウフル、スティール・パルス、キング・サニー・アデ

Black Uhuru : Tear It Up Live New Wave #11.Black Uhuru, Steel Pulse, King Sunny Ade

ブラック・ウフルの初来日は1984年7月。「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」での来日で、よみうりランドのオープンシアターEASTでライブを見た。真夏の暑い日射しが降り注ぐなか、ワシはその芝生の自由席にいた。

ブラック・ウフルと言えば、マイケル・ローズ、ダッキー・シンプソン、ピューマ・ジョーンズのボーカル・トリオに、“レゲエ・タクシー”たるスライ・アンド・ロビーのリズム隊。まずはスラロビ。真夏の暑い中で、ワシらを心地よく乗せてくれた。リズムのノリはもちろん最高なのだが、長いスティックを振り回してシンバルを叩くスライ・ダンバーと、マシンガンを持つようにベースを奏でるロビー・シェイクスピアの姿は、ヴィジュアル的にも魅せるものだった。

このときはアルバム『アンセム』が発売され、「ソリダリティ」がヒットするなど、ブラック・ウフルまさにノリノリの時期だった。ライブもノリノリなわけだが、そこで目立ったのはやはりマイケル・ローズだった。マイケル・ローズの声が、真夏の空に伸びやかにこだまするのを聴いていると、ブラック・ウフルはマイケル・ローズなしにはあり得ないと思ったものだった。ラスタのお兄ちゃんがぴょんぴょん跳ねてた、勝手気ままな芝生席で、気持ちよく乗らせてくれたブラック・ウフルだったのだ。

Steel Pulse : Earth Crisis スティール・パルスはブラック・ウフルと対照的で、その来日は1984年1月。雪の降る寒い日だった。実は酔っぱらっていて記憶がはなはだあいまい・・・(汗)、場所はネットで書かれていた渋谷公会堂や日本青年館ではなく、赤坂のニューラテンクォーターだった気がするワシなのだが、はなはだ自信がない・・・

とにかく覚えているのは、気持ちよくノリノリで踊りまくったことと、デヴィッド・ハインズのあの頭!だ。しかし、デヴィッド・ハインズがそのとき帽子をかぶっていたかどうかもあいまいで・・・「やはり人前でラスタの姿は見せないのだな」と思ったようなので、帽子をかぶっていた可能性が高い。友達と気持ちよく酒飲んで踊っていたので、申し訳ないが、これはまるでレポートにならない。ただ「おお~っ!」とか「最高!」などと、酔っぱらって叫んでいたことは事実なのだ(笑

調べてみると、スティール・パルスはアルバム『アース・クライシス』の発売前に、『ロッキン・オン』が招聘して来日したそうだ。『アース・クライシス』と言えば、ジャケットに描かれていたアンドロポフが発売1カ月もしないうちに亡くなるという、いわくつきのアルバムだった。

King Sunny Ade : Synchro System そして1984年10月に、とんでもない台風が上陸した。キング・サニー・アデ&ヒズ・アフリカン・ビーツ。場所は代々木第一体育館。仕事帰りにわくわくして、足を運んだものだ。

まさにジュジュ・ミュージックの迫力。トーキング・ドラムをはじめとする多くのドラム、パーカッションが刻むリズムのうねりに乗って、キング・サニー・アデの歌声が響く。超弩級のノリで踊りっぱなしで乗せられた。アルバム『シンクロ・システム』にある数分の曲が、どれも10分を超える長さになるのには正直驚いたが、これは元々長い曲をアルバムでは縮めているという話。そのすさまじいノリに、当然アンコールとなる。

そして、このアンコールがなんと1時間にも及んだ。このころになると、「おいおい、いつまでやるんだよ・・・」と苦笑い、こっちの体力が続かない。「やっぱ仕事帰りはきついよな・・・」とか思うが、全く下手な言い訳をしているようなのだ(笑)。とにかくキング・サニー・アデはすごかった。

1984年にスティール・パルスブラック・ウフルキング・サニー・アデと、レゲエ、アフロの代表的ミュージシャンが集中して来日したのは偶然なのかもしれないが、ワールド・ミュージックの関心が高まり、『ミュージック・マガジン』を読むことが当たり前の当時としては違和感のないものだった。結局のところ、言葉では表現しづらいので、YouTubeのビデオを観てほしいと思ってしまうワシであったのだ。

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