脳死する気功の不思議
『気功入門』という本を読んだ。医学博士であった故・品川嘉也氏が、大脳生理学の視点で気功を科学した本だ。これには次のような記述があって、びっくりしてしまった。
私がとくに驚かされたのは、子どものころから気功の訓練をつんできた気功師の脳波である。アルファ波だけでなくベータ波も小さく、いわゆる平坦脳波に近いときさえあった。平坦脳波とは、脳波学的には、いま臓器移植などの問題ともからんで、日本でさまざまに議論されている「脳死」のときに見られる脳波なのである。
気功師の脳機能にはなんらの異常も認められないのに、なぜこのような異常な脳波が生じるのか。不思議としかいいようがない。(本文pp.20-21)
なぜ、気功師に「脳死」や「ボケ」症状を示す脳波が出るのか
さて、まずは子どものころから練功を積んできた、ベテランの気功師について、目を閉じてリラックスした安静閉眼の状態で、「何も考えないでください」と指示を与えて脳波を測定してみた。すると、アルファ波の振幅がきわめて低い事実が判明した。ふつうの人とくらべると、平均して二分の一以下だった。
極端な例では、アルファ波はもちろん、ベータ波もひじょうに小さい気功師もいた。これは、いわゆる脳死状態に見られる「平坦脳波」に近い脳波である。もちろん、気功師の脳に異常や損傷があるわけではないのだから、このような脳波が見られるということは、まったくもって不思議としかいいようがない。(本文p.112)
ここで「脳死」について気になったので調べてみた。脳死の判定は、以下の5つの基準すべてを満たし、6時間経ってもその状態が変わらないことを確認して行われるという。
- 深い昏睡
- 瞳孔の散大と固定
- 脳幹反射の消失
- 平坦脳波
- 自発呼吸の消失
これからするならば、気功師のケースでは、この5つの脳死判定基準が完全に調べられているわけではないので、この気功師における脳波が「脳死」と断定することはできないだろう。しかし、いずれにせよ、気功の鍛錬によって、気功師の脳波が脳死の状態に近くなったことは事実で、それは不思議極まりないことだ。
ここで思わず“不思議”と書いてしまったが、この“不思議”というのはどこから来るのだろうかと考えた。それは、「脳死なのに生きているから不思議だ」と、ワシが思っているに他ならないのではないかと知って愕然とした。ワシの中で、いつ脳死が人の死としてとらえられたのだろうか。何の情報なのかはわからないが、いつの間にかこのような思考回路が形成されていたようだ。
しかし、この思考回路を停止させ、「脳死が人の死ではない」という前提に立ったらどうだろうか。つまり、「心臓死が人の死だ」ということである。とするならば、平坦脳波であろうと、脳死であろうと、心臓が動いていて生きているのだから、気功でそのような脳波が出ても何ら不思議ではないことになる。あらら……とすると、この記事のタイトルは何なんだろうってことになるが(笑)、まあ、ここで頭をリセットして、「脳死」についてもう少し突っ込んでみよう。
ウィキペディアの「脳死」、読売新聞の「移植医療を問う (3) (4)」、「臓器移植法改正を考える」というサイトを見ていて、その生々しい実態にどきりとした。そこには、以下のような現実が示されていたのだ。
- 1998年のアメリカのシューモン教授の調査では、175例が脳死判定後1週間以上心臓鼓動していたという。このうち脳死状態で1年以上心臓が動いていた例は3例。最長例では14年間心臓が動き続けた。これは4歳で脳死判定された男の子であり、脳死状態で身長が伸び、論文発表後も成長し、20歳を超えた。
- 大阪医大小児科の田中英高助教授は、1983年から2005年にかけて医学雑誌などに報告された国内の15歳以下の症例を分析。脳死か、脳死が強く疑われた114例のうち、心臓が30日以上動き続けた「長期脳死」が約3割を占め、2例は300日を超えた。脳死の診断後に自発呼吸が再開したケースも3例あった。
- 脳死判定後に人工呼吸器を外した脳死患者が、自発的に手や足を動かすという「ラザロ徴候」が知られている。脳死患者は医師の目の前で、突如両手を持ち上げ、胸の前に合わせて祈るような動作をするという。
- 脳死判定後、6年間心臓が動き、成長した7歳の男の子がいる。暑ければ汗をかき、排便時は顔を真っ赤にして踏ん張り、注射針を刺すと体をよじるという。また、瞳孔は開いたままで脳波もない交通事故に遭った男の子は、温かい手でギューッと握り返してあいさつしてきたという。
- 脳死と診断された5カ月の男の子が、診断6日後に自発呼吸が一時的に戻り、その後4年3カ月間生存していた。
- アメリカやカナダ滞在中に脳血管の病気で意識不明になった日本人で、家族らが現地の医師から「脳死」と説明されたにもかかわらず、帰国後に意識を回復した人が3人いた。また、ハワイで交通事故に遭って、医師から「全臓器の提供」を求められた女性は、1カ月余り後に意識を取り戻して帰国した。
おいおい、脳死って死んでない、生きてんじゃん!――これが最初の感想だった。今は、「脳死になれば、1週間以内に心臓が止まる」といったひと昔前の常識が、全く通用しないという。小松美彦教授の「私が脳死移植に断固反対する理由」で述べられている現実は、もっと生々しい。
確かに、脳死判定の結果、脳死と宣告されても、まだその患者の心臓も動いているし体温も維持されている。だからこそ臓器移植が可能なわけだが、その体から臓器を取り出そうとすると、患者の体からは汗が噴き出し血圧もあがるなど、痛みを感じる時とほぼ同じような症状が見られるという。そのため欧米では、脳死者から臓器を取り出す際にモルヒネなどの麻酔を打つことが常識となっている。何と、死体が暴れることがあるので、死体に麻酔を打っているというのだ。暴れる死体が本当に死体と言えるのか。小松氏はそう問いかける。
ここまで来ると「これ何だよ~(;´Д`)」って感じになる。脳死患者の体は絶対に死体ではない。痛みを感じ、汗が噴き出し、血圧が上がり、そして暴れるのは、“生きている”以外に考えられない。こうした実態を知ってしまうと、「脳死が人の死である」とは絶対に言えない。もし言ったとするならば、それは不誠実というものだろう。
そして、こうした臓器移植の現場とは何か。ドナー(臓器提供者)を生きたまま切り裂き、臓器を取り出すその現場こそ、まさに殺人・屠殺の現場に他ならないのではないか。「脳死患者を家族に見せないように」などと脳死では言われるが、臓器移植の実態などしっかりと情報公開すべきではないだろうか。
このように脳死は、調べれば調べるほど人の死でないことが明らかになってくる。臓器移植について言えば、ドナーが自分の意思によって、その人を救いたいという崇高な心で、自分の死と引き替えに臓器を他人に提供するなら、ワシは本当に素晴らしいことだと思うのだ。しかしこのとき、臓器を提供することが、すなわち自分の死を意味することを知らなかったならば、これは悲劇なのではないだろうか。ここでドナーは、自分が生きたまま肉体を切り刻まれて、臓器を提供しなければならない実態を理解すべきであろう。
そして臓器を移植される側は、その後の人生が免疫抑制剤による免疫力の低下から来る感染症との熾烈な闘いになる現実を知らなければならない。臓器移植による拒絶反応を防ぐために免疫を抑えると、当然感染症にかかりやすくなって苦しむのだ。また、移植した臓器で生きられる年数も限られているケースがほとんどで、決して長生きできるわけではない。こうした実態を考えるならば、脳死移植に大きなメリットはあまりないわけで、それは慎重を期して検討すべきものであって、拙速な推進は戒められるべきであろう。
今、国会では「臓器移植法改正案」が審議されているが、それは慎重な判断が求められるだろう。臓器移植については、以下の3点を踏まえておかないとまずいと思う。
- 脳死が人の死とは決して言えないこと
- ドナーは、生きたまま自分の体が解体されることを覚悟する必要があること
- 臓器移植後、患者には新たな苦しみが待っており、決して長生きできないこと
これらの現実を無視して、初めに移植ありきで拙速に審議を進めるなら、この臓器移植法はまさに「殺人奨励法」となってしまうであろう。
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