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2007年1月

2007年1月28日 (日)

斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ

柳生宗厳柳生石舟斎)の剣道歌に次のものがある。

 斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

この歌にはいろいろな言い伝えがあるようで、

 斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 一足ふみこめそこは極楽
 斬り結ぶ刀の下ぞ地獄なれ ただ斬り込めよ神妙の剣

などとも伝えられる。



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2007年1月23日 (火)

脳死する気功の不思議

気功入門気功入門』という本を読んだ。医学博士であった故・品川嘉也氏が、大脳生理学の視点で気功を科学した本だ。これには次のような記述があって、びっくりしてしまった。

 私がとくに驚かされたのは、子どものころから気功の訓練をつんできた気功師の脳波である。アルファ波だけでなくベータ波も小さく、いわゆる平坦脳波に近いときさえあった。平坦脳波とは、脳波学的には、いま臓器移植などの問題ともからんで、日本でさまざまに議論されている「脳死」のときに見られる脳波なのである。
 気功師の脳機能にはなんらの異常も認められないのに、なぜこのような異常な脳波が生じるのか。不思議としかいいようがない。
(本文pp.20-21)

なぜ、気功師に「脳死」や「ボケ」症状を示す脳波が出るのか
 さて、まずは子どものころから練功を積んできた、ベテランの気功師について、目を閉じてリラックスした安静閉眼の状態で、「何も考えないでください」と指示を与えて脳波を測定してみた。すると、アルファ波の振幅がきわめて低い事実が判明した。ふつうの人とくらべると、平均して二分の一以下だった。
 極端な例では、アルファ波はもちろん、ベータ波もひじょうに小さい気功師もいた。これは、いわゆる脳死状態に見られる「平坦脳波」に近い脳波である。もちろん、気功師の脳に異常や損傷があるわけではないのだから、このような脳波が見られるということは、まったくもって不思議としかいいようがない。
(本文p.112)

ここで「脳死」について気になったので調べてみた。脳死の判定は、以下の5つの基準すべてを満たし、6時間経ってもその状態が変わらないことを確認して行われるという。

  1. 深い昏睡
  2. 瞳孔の散大と固定
  3. 脳幹反射の消失
  4. 平坦脳波
  5. 自発呼吸の消失

これからするならば、気功師のケースでは、この5つの脳死判定基準が完全に調べられているわけではないので、この気功師における脳波が「脳死」と断定することはできないだろう。しかし、いずれにせよ、気功の鍛錬によって、気功師の脳波が脳死の状態に近くなったことは事実で、それは不思議極まりないことだ。

ここで思わず“不思議”と書いてしまったが、この“不思議”というのはどこから来るのだろうかと考えた。それは、「脳死なのに生きているから不思議だ」と、ワシが思っているに他ならないのではないかと知って愕然とした。ワシの中で、いつ脳死が人の死としてとらえられたのだろうか。何の情報なのかはわからないが、いつの間にかこのような思考回路が形成されていたようだ。

しかし、この思考回路を停止させ、「脳死が人の死ではない」という前提に立ったらどうだろうか。つまり、「心臓死が人の死だ」ということである。とするならば、平坦脳波であろうと、脳死であろうと、心臓が動いていて生きているのだから、気功でそのような脳波が出ても何ら不思議ではないことになる。あらら……とすると、この記事のタイトルは何なんだろうってことになるが(笑)、まあ、ここで頭をリセットして、「脳死」についてもう少し突っ込んでみよう。

ウィキペディアの「脳死」、読売新聞の「移植医療を問う (3) (4)」、「臓器移植法改正を考える」というサイトを見ていて、その生々しい実態にどきりとした。そこには、以下のような現実が示されていたのだ。

  • 1998年のアメリカのシューモン教授の調査では、175例が脳死判定後1週間以上心臓鼓動していたという。このうち脳死状態で1年以上心臓が動いていた例は3例。最長例では14年間心臓が動き続けた。これは4歳で脳死判定された男の子であり、脳死状態で身長が伸び、論文発表後も成長し、20歳を超えた。
  • 大阪医大小児科の田中英高助教授は、1983年から2005年にかけて医学雑誌などに報告された国内の15歳以下の症例を分析。脳死か、脳死が強く疑われた114例のうち、心臓が30日以上動き続けた「長期脳死」が約3割を占め、2例は300日を超えた。脳死の診断後に自発呼吸が再開したケースも3例あった。
  • 脳死判定後に人工呼吸器を外した脳死患者が、自発的に手や足を動かすという「ラザロ徴候」が知られている。脳死患者は医師の目の前で、突如両手を持ち上げ、胸の前に合わせて祈るような動作をするという。
  • 脳死判定後、6年間心臓が動き、成長した7歳の男の子がいる。暑ければ汗をかき、排便時は顔を真っ赤にして踏ん張り、注射針を刺すと体をよじるという。また、瞳孔は開いたままで脳波もない交通事故に遭った男の子は、温かい手でギューッと握り返してあいさつしてきたという。
  • 脳死と診断された5カ月の男の子が、診断6日後に自発呼吸が一時的に戻り、その後4年3カ月間生存していた。
  • アメリカやカナダ滞在中に脳血管の病気で意識不明になった日本人で、家族らが現地の医師から「脳死」と説明されたにもかかわらず、帰国後に意識を回復した人が3人いた。また、ハワイで交通事故に遭って、医師から「全臓器の提供」を求められた女性は、1カ月余り後に意識を取り戻して帰国した。

おいおい、脳死って死んでない、生きてんじゃん!――これが最初の感想だった。今は、「脳死になれば、1週間以内に心臓が止まる」といったひと昔前の常識が、全く通用しないという。小松美彦教授の「私が脳死移植に断固反対する理由」で述べられている現実は、もっと生々しい。

 確かに、脳死判定の結果、脳死と宣告されても、まだその患者の心臓も動いているし体温も維持されている。だからこそ臓器移植が可能なわけだが、その体から臓器を取り出そうとすると、患者の体からは汗が噴き出し血圧もあがるなど、痛みを感じる時とほぼ同じような症状が見られるという。そのため欧米では、脳死者から臓器を取り出す際にモルヒネなどの麻酔を打つことが常識となっている。何と、死体が暴れることがあるので、死体に麻酔を打っているというのだ。暴れる死体が本当に死体と言えるのか。小松氏はそう問いかける。

ここまで来ると「これ何だよ~(;´Д`)」って感じになる。脳死患者の体は絶対に死体ではない。痛みを感じ、汗が噴き出し、血圧が上がり、そして暴れるのは、“生きている”以外に考えられない。こうした実態を知ってしまうと、「脳死が人の死である」とは絶対に言えない。もし言ったとするならば、それは不誠実というものだろう。

そして、こうした臓器移植の現場とは何か。ドナー(臓器提供者)を生きたまま切り裂き、臓器を取り出すその現場こそ、まさに殺人・屠殺の現場に他ならないのではないか。「脳死患者を家族に見せないように」などと脳死では言われるが、臓器移植の実態などしっかりと情報公開すべきではないだろうか。

このように脳死は、調べれば調べるほど人の死でないことが明らかになってくる。臓器移植について言えば、ドナーが自分の意思によって、その人を救いたいという崇高な心で、自分の死と引き替えに臓器を他人に提供するなら、ワシは本当に素晴らしいことだと思うのだ。しかしこのとき、臓器を提供することが、すなわち自分の死を意味することを知らなかったならば、これは悲劇なのではないだろうか。ここでドナーは、自分が生きたまま肉体を切り刻まれて、臓器を提供しなければならない実態を理解すべきであろう。

そして臓器を移植される側は、その後の人生が免疫抑制剤による免疫力の低下から来る感染症との熾烈な闘いになる現実を知らなければならない。臓器移植による拒絶反応を防ぐために免疫を抑えると、当然感染症にかかりやすくなって苦しむのだ。また、移植した臓器で生きられる年数も限られているケースがほとんどで、決して長生きできるわけではない。こうした実態を考えるならば、脳死移植に大きなメリットはあまりないわけで、それは慎重を期して検討すべきものであって、拙速な推進は戒められるべきであろう。

今、国会では「臓器移植法改正案」が審議されているが、それは慎重な判断が求められるだろう。臓器移植については、以下の3点を踏まえておかないとまずいと思う。

  1. 脳死が人の死とは決して言えないこと
  2. ドナーは、生きたまま自分の体が解体されることを覚悟する必要があること
  3. 臓器移植後、患者には新たな苦しみが待っており、決して長生きできないこと

これらの現実を無視して、初めに移植ありきで拙速に審議を進めるなら、この臓器移植法はまさに「殺人奨励法」となってしまうであろう。

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2007年1月19日 (金)

桜庭を応援しようと取りあえず思った

桜庭和志 ヌルヌル秋山問題でわかったことは、ワシは桜庭が好きだったんだな、ということ。例の試合の前にホイスが桜庭に花束を渡したときは、妙に感慨深いものがあったし、そのとき、グレイシーとの戦い、シウバアローナとの戦いなどが浮かんできたのは感傷的すぎるかな。。。これも蟹座の特徴か。そう言えば桜庭も同じ蟹座だし、そのあたりも好きなのかも(笑

もうご存じのように、1月17日に桜庭がFEGの谷川代表と共に会見を行った。この会見については突っ込みどころいまだ満載って感じで、「グローブは調べたって言うけど、バンデージはどうなったの?」「秋山反則負けでなくて、どうしてノーコンテストなの?」「多汗症がなんでスキンクリームに変わるの?」などなど・・・会見内容にも矛盾点があるし、まあこのあたりは、まとめサイト「すっごい滑るよ!」に任せるが、そこの「★内部告発★」を見ていると、この問題はまだまだ終わりそうにないなぁと思うのだ。結局思うに、TBSは在日K-1は創価学会が絡むわけで、在日と創価学会が絡むと問題がうやむやになるという日本の常識が立ちはだかって・・・ぶつぶつ。

ところでその記者会見で、桜庭が「今は納得しています」「(試合中抗議が無視されたことは)しょうがないと思います」「(秋山選手に対する感情は)個人としては何もないです」と言ってるし、「正直、消そうと思えば消せたことかもしれませんけども」なんて微妙なことも言ってるけども、「みんなで力を合わせて総合格闘技というものをさらにいいものに変えていければいいなあと思います。僕も頑張りますので、皆さんよろしくお願いします」なんて言うんで、ワシ自身はこのへんで矛を収めようと思うのだ。甘いと言われるかもしれないが、まとめサイトだけは見ていくとしても、あとは桜庭を応援することがワシのやることかなぁと、いろいろ考えて思っているところなのであった。

2007年1月15日 (月)

日本の歌百選

今月14日「親子で歌いつごう 日本の歌百選」が発表された。こんな募集があったなんて、ワシは全く知らなかったのだが、見ていると、「あゝ、この曲が入っているんだ」とか、「え゛、この曲?」なんて感じがあって、なかなか面白い。ここにも選ばれた曲を記しておこう(しかし、101曲あるのはなぜだろう・・・)。

「日本の歌百選」に選ばれた歌(50音順)

 仰げば尊し▽赤い靴▽赤とんぼ▽朝はどこから▽あの町この町▽あめふり▽雨降りお月さん▽あめふりくまのこ▽いい日旅立ち▽いつでも夢を▽犬のおまわりさん▽上を向いて歩こう▽海▽うれしいひなまつり▽江戸子守歌▽おうま▽大きな栗(くり)の木の下で▽大きな古時計▽おかあさん▽お正月▽おはなしゆびさん▽朧(おぼろ)月夜▽思い出のアルバム▽おもちゃのチャチャチャ▽かあさんの歌▽風▽肩たたき▽かもめの水兵さん▽からたちの花▽川の流れのように▽汽車▽汽車ポッポ▽今日の日はさようなら▽靴が鳴る▽こいのぼり▽高校三年生▽荒城の月▽秋桜(コスモス)▽この道▽こんにちは赤ちゃん▽さくら貝の歌▽さくらさくら▽サッちゃん▽里の秋▽幸せなら手をたたこう▽叱(しか)られて▽四季の歌▽時代▽しゃぼん玉▽ずいずいずっころばし▽スキー▽背くらべ▽世界に一つだけの花▽ぞうさん▽早春賦▽たきび▽ちいさい秋みつけた▽茶摘み▽チューリップ▽月の沙漠(さばく)▽翼をください▽手のひらを太陽に▽通りゃんせ▽どこかで春が▽ドレミの歌▽どんぐりころころ▽とんぼのめがね▽ないしょ話▽涙(なだ)そうそう▽夏の思い出▽夏は来ぬ▽七つの子▽花=作詞作曲・喜納昌吉▽花=作詞・武島羽衣、作曲・滝廉太郎▽花の街▽埴生(はにゅう)の宿▽浜千鳥▽浜辺の歌▽春が来た▽春の小川▽ふじの山▽冬景色▽冬の星座▽故郷▽蛍の光▽牧場の朝▽見上げてごらん夜の星を▽みかんの花咲く丘▽虫のこえ▽むすんでひらいて▽村祭▽めだかの学校▽もみじ▽椰子(やし)の実▽夕日▽夕やけこやけ▽雪▽揺籃(ゆりかご)のうた▽旅愁▽リンゴの唄(うた)▽われは海の子

2007年1月 9日 (火)

レッド・ツェッペリン:天国への階段(Stairway to Heaven)

レッド・ツェッペリン「Led Zeppelin IV:Four Symbols」 ワシが高校のとき一番多く聴いたのは、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」、大学のとき一番多く聴いたのは、ジェネシスの「サパーズ・レディ」だった。この2曲がロックの名曲であることは間違いないが、この2曲について何か書いてみようと思うのだ。まずは「天国への階段」である。

天国への階段」については、ウィキペディアの記事「天国への階段(楽曲)」と、『レッド・ツェッペリン―天国への階段』(シンコー・ミュージック)、『ストレンジ・デイズ No.65』、『アエラ・ロック・ハード』を参考にして、我龍でまとめてみたい。



天国への階段」が入っているレッド・ツェッペリンの4枚目のアルバムは、ジャケットにタイトルもグループ名も何の文字もないが、これは「純粋に音楽だけで勝負したい」という彼らの熱意を表している。内袋に印刷された4つのシンボル・マークが謎かけとしてとらえられ、このアルバムは「ルーン・アルバム」、「ZOSOアルバム」、または「レッド・ツェッペリンⅣ」、「ステアウェイ・アルバム」などと呼ばれたが、メンバーの間では「フォー・シンボルズ」と呼ばれていた。

ロバート・プラントのシンボルは、自らがデザインしたもので、ムー大陸の神聖なシンボルから描き出したもの。インディアンの間では羽毛を勇気の象徴としている部族も多いという。ジョン・ボーナムのシンボルは、古代ルーン文字の書物から選んだもので、三つの輪は「男・女・子供」を指し、三位一体を連想させる。ジョン・ポール・ジョーンズのシンボルも、古代ルーン文字の書物から選んだもので、自信に満ちた有能な人物を表す。ジミー・ペイジのシンボルは、自らがデザインしたもので、それが“ZOSO”という単語だと受け取られたが、実際は別物のつもりだった。そして、こうしたタイトル云々といったものがマスコミを混乱させる作戦の一つにすぎなかったと明かしている。

表ジャケットに使われた老人の絵画はプラントが手に入れてきたもの。その絵画が廃墟の壁に掛けられ、裏ジャケットではその廃墟の壁の向こうに、取り壊されるばかりとなった公営住宅とそびえ立つ高層建築といった再開発中の街が描かれる。これは、自然と調和した状態にある薪を背負った老人が、山小屋を撤去され、都会のスラムに無理矢理住まわされてしまう様を表すという。内ジャケットには、岩山の上に立つ隠者とそれを仰ぎ見る若者が描かれる。タロットカードで隠者は“一歩退いたり、熟考したりすることなく、現行の道をそのまま進むことへの特別な警告”とされ、その隠者が“真実と啓示の光”を、ふもとにいる若者にかざしている。内袋には、4つのシンボルと曲名、そして「天国への階段」の歌詞が記されている。



フォー・シンボルズ』は、1971年の初め、ハンプシャーの田園地帯にある邸宅ヘッドリィ・グランジに、ローリング・ストーンズ所有の移動スタジオを持ち込んで録音された。プレッシャーのかかるスタジオとは異なった、リラックスした最高のムードで作られていったという。

天国への階段」の最初のパートは、1970年にウェールズのスノウドニアの小屋、ブロン・イ・アーで過ごしたある晩に浮かんできたという。そしてこのヘッドリィで構想を練り上げるが、曲作りにはかなり時間がかかった。途中からテンポが加速するといったことは、当時のレコーディングではめったになく、当時としてはかなり複雑な曲だった。曲の後半からボンゾのパワフルなドラムを入れることで、高揚感を倍増させるが、ペイジは、音楽的なあらゆる要素を融合させつつ、全体としては何かとても親密なものから壮大なものへとクレッシェンドしていく感覚を表現したかったと言う。



プラントは暖炉の前でペイジが弾くコードを聞き、急に手が動いて歌詞を書き始める。ちょうどいい時にそこへ腰を下ろしたといった絶好の瞬間だったという。不自然なくらい何の苦もなく歌詞は完成したが、まさにその時期に生まれるべくして生まれた曲だったのだろう。

この歌詞は、当時プラントが読んでいたルイス・スペンスの『The Magic Arts in Celtic Britain』からインスピレーションを得ていて、この本から借りた語句が散見する。ケルトの吟遊詩人たちが、導入部分で楽器を静かに弾きながら、英雄たちのプロフィールを紹介し、だんだんと物語を盛り上げていくように、ロバート・プラントはケルト神秘主義の彼方から現れたのかもしれない。



天国への階段」のステージでの演奏は、『フォー・シンボルズ』の発売より早く、71年3月5日にベルファストのアルスター・ホールで行われている。また、71年9月の日本公演でも披露されている。71年11月8日のアルバム発売後は、LAフォーラムが初演となったが、そこでは大勢の観客が立ち上がって拍手喝采したという。

「天国への階段」は、ロック界以外の音楽業界からも評価が高く、クラシック界の巨匠カラヤンは「私がオーケストラで演奏するとしても、これ以上のアレンジを必要としない名曲」と絶賛している。



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2007年1月 8日 (月)

ヌルヌル秋山問題、記事削除される

070108sn もう2ちゃんあたりでは、いろいろと取り上げられているが、例のヌルヌル秋山問題についてのスポーツナビとYahoo!の本日夕方の記事が削除された。一度UPされて削除されるとは・・・きっと何かある、どこから圧力がかかったんだ? と考えるのは、みんな同じ。そうした裏事情はワシではなかなか追及できないので、せめて削除された記事だけでも明らかにしておこう。

 削除されたスポーツナビとYahoo!の記事(2007.1.8)

またおって(・∀・)/

2007年1月 5日 (金)

桜庭よ ああ桜庭よ 桜庭よ

ヌルヌル秋山のグローブが違う? う~ん、やっぱしすっきりしない。大晦日のDynamite!!での桜庭・秋山戦のことだ。「Pride 男祭り」がよかっただけに、余計にその印象が強い。

秋山ヌルヌル疑惑グローブ細工疑惑骨折疑惑……、そして梅木良則レフェリーが韓国料理接待のブログ記事を削除したりして、状況的には真っ黒だ。大体において、総合格闘技をあれだけやっている桜庭が、汗とオイルを間違えるわけがないし、フェアで温厚なあの桜庭があれだけ怒るのは尋常ではない。また、ゴングが鳴る直前には、桜庭自身、何度も秋山の足をチェックしているのだ。

ヌルヌル秋山が骨折?ギプスはしてないが? 汗であるかないかがすぐわかることは、菊田早苗自分の日記で言っている。また、格闘技の経験のないワシにはわからなかったが、格闘技をやっている人間からすると、秋山がやったかたちで足を抜くのは膝への負担が大きく非常に危険で、格闘技の常識からは考えにくいという。

秋山は一緒に入場してきた純真な子供たちの前で、果たしてそんなことができるのだろうかと、さすがにワシも考えた。しかし、柔道時代からヌルヌル疑惑があったことを知ると、悪いという感覚がすでに麻痺していたんだろう、と考えを改めた。

このあたりの検証については、以下のブログとまとめサイト、ターザン山本のHPが詳しいので、そちらに委ねたいと思う。

ここで追記。「プロレス多事争論」の「消された桜庭のコメント」の中には、桜庭がマスコミにコメントを発表していたことが書かれている。しかし、これはFEGサイドから全マスコミの記事にチェックが入ってコメントは削除されたという・・・絶句! そのコメントはネットではお馴染みだが、以下のもの。

「ボクの方から言わしてもらうけど、
オイル塗ってるよ。何でもありなの?
おかしいよ。 ね?そうでしょ。 こんなの許されるの?
何のためにリングに・・・よく分からないよ。

このままでいいの? ね?(谷川)呼んで来てよ。
こんな事をするためにこのリング選んだんじゃないんだよ。
おかしいでしょ。ね。」

それにしても、「ヌルヌル秋山」とか「ヌル山」と言われ続ける秋山は、今後どうするんだろう。そして桜庭はどこへ行くのか……

2007年1月 3日 (水)

今年はメアリー・ブラックから、「アナーキー・ゴードン」を

メアリー・ブラック 今年最初にUPするのは何の曲にしようかと思って選んだのが、メアリー・ブラックの「アナーキー・ゴードン」。これは『Mary Black』に収録されているメアリー・ブラックの出世作なのだが、そのトラッドの懐かしい音色が望郷の彼方へいざなってくれるようで非常に心地よい。

 ♪「Anachie Gordon」を聴いてみる。


Mary Black : Anachie Gordon (Live 1980)

最近YouTubeで、デ・ダナンDe DannanのビデオがUPされるようになってうれしい。以前取り上げた「Song for Ireland」も、ここで全曲聴くことができる。そんな中で、今日は97年9月にダブリンで開催されたフェスティバルから、メアリー・ブラックモーラ・オコンネルエレノア・シャンリートミー・フレミングという4人を伴ったデ・ダナンの「すべては終わりぬHard Times Come Again No More」を取り上げる。スティーブン・フォスターの曲を歌い上げる4人の歌声が何ともいいのである。


De Dannan : Hard Times Come Again No More



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2007年1月 2日 (火)

デザインについてのお詫び

この「我龍待合室」のデザインは、Firefox を基準にしています。どうも Internet Explorer で見ると、一部デザインが崩れるところがあるようです。OperaやSafari などはわかりません。

これはワシのスキルのなさが原因であって、他意はありませんので、どうかご寛恕ください。

それにしても新年早々あやまっているワシって・・・orz

2007年1月 1日 (月)

風になびく幡(非風非幡)――何が動くのか

あめましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年の最初は、『無門関』第二十九則から、「非風非幡(ひふうひばん)」という公案。六祖慧能の言葉で終わらないところが、の奥深さか――

 六祖はある時、法座を告げる寺の幡(はた)が風でバタバタ揺れなびき、それを見た二人の僧が、一人は「幡が動くのだ」と言い、他は「いや、風が動くのだ」と、お互いに言い張って決着がつかないのを見て言った。

「風が動くのでもなく、また幡が動くのでもない。あなた方の心が動くのです」

 これを聞いて、二人の僧はゾッとして鳥肌を立てた。

  無門は言う。

「風が動くのでも、幡が動くのでもない。まして心が動くのでもない。では、何処に六祖の言い分を見るべきであろうか。もしそこのところを見抜くことができて、六祖とピッタリであれば、この二人の坊さんたちが、鉄を買うつもりであったのに、思いがけなくも金を手にしてしまったことが分かるであろう。それにしても六祖は優しさが抑えきれないばかりに、とんでもない失敗劇を演じてしまったものだ」

  頌(うた)って言う。

 風幡心が大揺れで、
 みんな同んなじ罪状だ。
 六祖も釣られて口開き、
 思わず語るに落ちるとは。



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