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2006年9月

2006年9月29日 (金)

トーキング・ヘッズ:ニューウェイヴの源流

Remain in Light #2.Talking Heads : Remain in Light

トーキング・ヘッズを聴いたのはいつのことだったか。今野の雄ちゃんがしきりに「ヘッズ、ヘッズ」と絶賛していたことを思い出す。ひねくれ者のワシは、あまり絶賛されると聴く気が失せてくるので、なんだかんだと後回しにしてしまった。結局聴いたのは、トムトム・クラブと一緒だったから、81年のことになる。そのとき、「何ですぐにヘッズを聴かなかったんだろう」と悔やんだものだが、まあこのへんはワシの性格ということでどうにもならんのだな・・・(;´Д`)

ニューウェイヴを語る上で、絶対に外せないのが、この「Remain in Light」だと思う。まあこれは、ワシが声高に言わなくても、だれしもが認めるところだろう。ニューウェイヴとは何かというと、パンク・ロックのあとのロック・ムーブメントくらいの漠然としたものだと思うが、そのリズムには特徴があった。レゲエ、スカビート、リズムマシーンの導入など、“リズム革命”とでも言えるものがそこにはあった。ヘッズの場合は、アフロビート中心に取り入れたわけだが、当時その試みには驚かされた。普通「ロックとの融合」とか言って下手なことをすると空回りして失速するものだが、ヘッズの場合すごいノリで迫ってきたのだ。

この「Remain in Light」は今聴いてもその新鮮さに驚かされる。それは、デヴィッド・バーンをはじめとするティナクリスジェリーの4人の力量はもちろんだが、エイドリアン・ブリューのギター、ブライアン・イーノのプロデュースが結晶してできたからだろう。

Tom Tom Club またティナとクリスのトムトム・クラブがいかしてた。明るいノリで、ラップ、エスニック。「Tom Tom Club」の存在感は今も残っている。「おしゃべり魔女」のらっさんさん、らっさんさん、くにくにくにくに、あっさんさん♥♥・・・はホントに聴いてるだけでほほ笑ましいのだ。ヽ(´ー`)ノ

ストップ・メイキング・センス(ニュージャケットバージョン) 極めつけは、映画「Stop Making Sense」だろう。何にもないステージにデヴィッド・バーンがラジカセを持って一人で出てきて「Psycho Killler」。ラジカセにけっつまずかないかなと見ていると、次はティナが出てきて、黒子然としたスタッフがステージを組み立て始める。クリス、ジェリーと出てきて、サポート・メンバーが勢ぞろいするころには、ステージも万全。バーンはくねくねダンスやライトスタンドのアクションなどしながら、「Once In A Lifetime」では痙攣ダンス。「Girlfriend Is Better」のだぼだぼスーツ、トムトム・クラブのティナの土着ダンスと、パフォーマンスも盛りだくさん。ライブのノリもあわせて、まさにヘッズの存在感を見せつけたという感じだ。またこの映画はカメラワーク・ライティング・編集のうまさも特筆すべきだろう。

正気でいようとするなよ!Stop Making Sense)」と言うセンスの良さ、ロックとアフロビートの融合、そしてそのノリのすごさ、ちょっと変人的パフォーマンス(笑)……トーキング・ヘッズはニューウェイヴの源流とも言える存在感なのだ。

2006年9月27日 (水)

バクのなぞかけ

 彼が夢を見ている。その夢の中にぼくはいる。彼の夢にはぼくがいて、しばらくするとぼくはそこで一匹のバクに出会った。
 そのバクはぼくにこう言った。

「オレさまは彼の夢を食べてしまうよ。オレさまが彼の夢を食べたら、当然お前さんは消えることになるなあ。ただしだ、お前さんがこれからオレさまのすることを正しく言い当てたら、オレさまは消えてやろう。そうすればオレさまは夢を食べられず、彼の夢もお前さんも残るというわけだ。さあ当ててみろ」

 ぼくは思った。
 バクが彼の夢を食べたとしたら、彼の夢の中にいるバクも消えてしまう。彼の夢が消えるのが先なのだろうか? バクが消えるのが先なのだろうか? バクは自分の世界である夢を食べてしまったら、どこへ行くんだろうか?

 でもこれはぐるぐる回ってばかりいるので、バクのなぞかけについて考えてから、ぼくはこう言った。

「あなたは彼の夢を食べてしまいます」

 バクは驚いた。そしてしばらく考え込んだ。
 彼の夢を食べれば、こやつの言ったことは正しくなるので、オレさまは消えなければならない。しかし、オレさまが消えてしまうと、こやつの言ったことは誤りになるので、彼の夢を食べてよくなる。ところが、彼の夢を食べてしまうと、こやつの言ったことは正しくなるので、消えなければならない……。

 頭がごちゃごちゃになって困ったバクは、その場で倒れて眠ってしまった。そしてこの彼の夢の中で、バクは、夢を見ている彼の夢を見たということだ……。

2006年9月25日 (月)

誉めてやらねば人は動かじ

山本五十六の有名な言葉。なるほどと思わせるところがある。。。

 やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ

この言葉の元となったのは、上杉鷹山の次の言葉だそうで。さすがは上杉鷹山。

 してみせて 言って聞かせて させてみる

2006年9月24日 (日)

無欲万両

上杉鷹山:なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり  働き一両、考え十両、見切り千両、無欲万両

この言葉を聞いたのは、いつのことだったか。どうも元ネタは上杉鷹山らしい。それはこのようなものだ。

 働き一両、考え五両、知恵借り十両、コツ借り五十両、ひらめき百両、人知り三百両、歴史に学ぶ五百両、見切り千両、無欲万両

「無欲万両」は確かに難しい。しかし、上杉鷹山の有名な言葉にいわく。

 なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり

2006年9月21日 (木)

シエスタなるバスクの憂鬱

Oskorri: 25 ノリのいい明るい曲がバスク語に乗って流れてくる。オシュコリOskorriの結成25周年を記念したライブ。そのCD25 (Kantu Urte)」の一番最後の曲がこの「Furra furra」である。

 ♪「Furra furra」を聴いてみる。

このバスクのノリに魅せられたワシは、単純に決意した。「よし! バスクに行って音楽を聴くぞ!」 目的地はサンセバスチャン。

Euskadi バスク民族。ゲルマン、ラテン、スラブなどの他のヨーロッパ系に属さず、孤立した言語であるバスク語を話す。ETA(バスク祖国と自由)の過激な活動。Rhマイナスの比率33%(Rhマイナスの因子保有率になると82%!)は世界一。これがバスクの印象だ。

ところでこのRh因子って、サルに関係していて、「サルに対する抗体」に反応するのがプラス、反応しないのがマイナスって話。Rhマイナスって、要するにサルから遠いってことで、バスク民族は最もサルから遠いわけだ。じゃあ、Rhプラスが99.4%の日本人は、サルに近いってことか・・・なんて、いろんなことを考えながら、心はすでにバスク!

セウタからアルヘシラスと入り、コルドバを観て、マドリードは通過。バルセロナでガウディをじっくり観てから、サンセバスチャンへ。5月のスペインは日本の気候とよく似ていて過ごしやすい。サンセバスチャンには夕方に到着。すぐにツーリスト・インフォメーションに行って尋ねる。

「民族音楽が聴きたいんですが……」
「それなら毎週1回フェスティバルがありますよ」
「次はいつですか?」
「昨日あったので、1週間後です」

1週間後・・・( ゚Д゚) いろいろと聞いてみたが、音楽を聴く機会は1週間後のフェスティバル以外ないそうだ。他の街ではないのか聞いてみたが・・・なかった。

現実は甘くない。予定を考えると、1週間ここで過ごすことはできなかった。仕方なく、3日ほどぶらぶらとバスク地方を見学することになった。でも、サンセバスチャンは悪くなかった。コンチャ湾の美しさ、モンテ・イゲルドに登って眺めるとまた格別、海を見ながら食べるイカの墨煮はうまい! 街並みはきれい、景色は抜群、料理はおいしい…と言うことなし。しかし旧市街に行くと、ETAを思わす痕跡が。。。静寂の中にバスクの現実が覗いた気がした。

Oskorriそう言えば、オシュコリの歌詞も重くシビアな内容であったことを思い出す。「Furra furra」でも「戦争」という言葉が重く響く。そこに刻まれたバスクの歴史、おそらくそれは観光客には計り知れないものなのだろう。

時間があるので、ゲルニカまで足を伸ばした。到着したのがシエスタの時間なので、町全体が眠っていた。バスクの自治独立の象徴であるゲルニカの樫の木が、静寂の中にたたずむ。ピカソゲルニカを思い起こすと、その歴史はやはり重い。シエスタの中に、バスクの憂鬱が沈んでいた。

2006年9月19日 (火)

スティーブ・ハケット:Sentimental Institution

スティーブ・ハケット:Defectorスティーブ・ハケットの新譜買ったの? どうだった?」
「うん、なかなか。最後まで聴けばわかるよ」

そう言って、友だちはスティーブ・ハケットの「Defector」のアルバムに針を落とした。僕は、スティーブ・ハケットの前作「Spectral Mornings」が気に入っていた。特に、そのアルバムのタイトル曲である「虹色の朝」の透明感が素晴らしく、この「Defector」でもそうした曲を期待していたのだ。

アルバム自体は決して悪くはなかった。5拍子や7拍子の曲があったり、B面になってハケット節が出てきたりしてスティーブ・ハケットらしさは十分なのだが、残念ながら「虹色の朝」にあった透明感は出てこなかった。「スティーブ・ハケットは、エドワード・ヴァン・ヘイレンより先にライトハンド奏法をやってたんだよね」とか、関係ないことをいろいろ考えたりもする。そして最後の曲、「Sentimental Institution」……え。。。

 ♪「Sentimental Institution」を聴いてみる。

「これか……いいねぇ」
「そうだろ。はまるなぁ」

よく考えてみると、この1曲だけが異質なのだが、気分は1920年代のアメリカ、ウィスコンシンって感じだ。こうしてセンチメンタルな夜は更けていくのだった。

2006年9月17日 (日)

Ballroomな夜

De Dannan:Ballroom ロンドン郊外でデ・ダナンDe Dannanのコンサートがあった。アルバム「Ballroom」が発売されてまもなくのことで、わくわく気分。アイルランドでは聴く機会に恵まれなかったデ・ダナンなのである。

デ・ダナンの最高傑作と言うと、「Anthem」か「Star-Spangled Molly」を選ぶ人が多く、その次に「Ballroom」って感じかと思うのだが、今回はそうした評価をするんじゃなくて、コンサートの思い出と、ドロレス・ケーンの歌声を讃えてのボールルームなのだ。まずはちょっとお耳を拝借って感じで、「Ballroom」トップのホーンパイプを。

 ♪「The Rights of Man/The Pride of Petravore」を聴いてみる。

泊まっていた安宿からは比較的近く、バスであっという間。着いた所は、イギリス風ライブハウスというより、こぢんまりとしたパブだった。確かに、ライブのできるスペースはあるのだが、「え、こんなに近くで見られるの?」ってくらいこぢんまり。驚きと期待で、やっぱしアイルランドはギネスだよねと、黒ビールをちびちびやりながら待つ。

時間が近づくと、「あれっ」って感じ。フィドル・超バカテクのフランキー・ゲイヴィンが客席で話している。他のメンバーもあちこちにいて、ありゃりゃ家庭的な雰囲気だなって思ってたら、メンバーが客席から出てきて(笑)、ステージにつく。まさにアイリッシュ・クオリティなのだ。

Ringo 演奏はとにかく感激。フランキー・ゲイヴィンのフィドル、アレック・フィンのブズーキとギター、マーティン・オコナーのアコーディオン…と、めちゃうまなのだが、ワシが最も注目したのは、ジョニー・“リンゴ”・マクドナーのバウロンだった。バウロンというのは、本当に一枚皮の太鼓なのだが、その音の多彩なこと。ジョン・ボーナムのスネアとフィル・コリンズのスネアとビル・ブラッフォードのスネアをすべて鳴らしてしまうという…って、全くわけわかんない比喩だな、おい!・・・左手で太鼓の張りを調節して音を出すのだが、ロールまでしてしまうっつう、その多彩さは全く不思議なほどなのだ。写真はそのリンゴです。

Dolores そして書き忘れてはいけない。何と言っても、ボーカルのドロレス・ケーン。とにかく絶品の歌。このころ絶頂期だったこともあって……聞き惚れた。だが、ワシの視線はなぜか美人チェリストのキャロライン・ラヴェルの方に行ってしまうのであった(笑

まあ、それはともかく、ドロレス・ケーンを讃えるということで、「Ballroom」から「テディ・オニール」。魂が揺さぶられる歌声をどうぞ。

 ♪「Teddy O'Neill」を聴いてみる。

アイルランドのコンサートは、大抵途中休憩の懇親会?の時間が入るのだが、このときもそう。なんとメンバーが客席に来て、お友だちノリの会話をするではないか。ワシも話したかったのだが、なんせ英語がダメ(泣)。だれか友だち連れてくればよかったな、とマジ思った。

そんな感じで後半も素晴らしい演奏だったわけだが、デ・ダナンってリハーサルを全くしないそうだ。キャロライン・ラヴェルは「次は(キーが)Dだと言われるだけなの。ほとんどの曲がDなのに(笑)」と言う。う~ん、さすがというか、その演奏力やノリは半端じゃないのだな。

Guinness 帰りはバスもないので、てくてく歩いた。夜の闇がオレンジの街灯に照らされていたのを覚えているが、夜がいつまでも明るい6月終わりのころだったから、もう12時を回っていたのかもしれない。眠りに就いたロンドン郊外の工場や貨物列車などを見ながら歩いていると、リールのノリが甦ってくる。ギネスの味もあいまって、最高の気分で酔ったBallroomな夜だったのだ。



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2006年9月15日 (金)

死地に陥れて後に生かす

孫子「九地篇」にこのような言葉がある。

 これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く

確かに、ワシらは無知なるがゆえに、滅亡すべき地や死すべき地に陥らないと、能力が発揮できないのかもしれない。なかなか味わい深い言葉である。

2006年9月14日 (木)

愚者と賢者の格言

シェイクスピアは「お気に召すまま」でこのように言う。

 愚者は己が賢いと考えるが、賢者は己が愚かなことを知る。

モンテーニュは「随想録」でこのように言う。

 愚者が賢者から学ぶことよりも、賢者が愚者から学ぶことのほうが多い。

う~ん、まさに至言である。心しておこう。

2006年9月10日 (日)

ミルコ優勝おめでとう!

ミルコ優勝おめでとう!

ミルコ優勝キタ━━(━(━(-( ( (゚∀゚) ) )-)━)━) ━━ !!!!!
優勝おめ! ついでに誕生日もおめでとう!

じっくり書こうかなんて思っていたが、やはりうれしくて書いてしまった。ミルコ・ファンとしては、臥薪嘗胆、堅忍不抜、一陽来復の思いだったので。。。(´Д⊂グスン

しかし2戦とも、えらい強さでしたな。久々の左ハイKOもキタ━!!し、パウンド・鉄槌も強かった。・・・う~ん、興奮してしまって何を書いていいんだかわからん(笑

今日のミルコは言うことないのだが、ちょっと試合前のことを書いてみたいと思う。まずは、公式サイトでのコメント

とにかく、あさっては、ヴァンダレイと決着をつけること。ただ、それだけだ。それ以外には、何も考えていない。

この目の前のことだけに集中するというのがいいですな。今までのミルコは、ベルト・優勝を意識するあまり集中力に欠けていたりすることもあったと思う。先のことは一切考えず、目の前のことだけに集中したのが、ホントよかったと思う。

もう一つ。ミルコは前日の記者会見に参加しなかったわけだが、妙に舞い上がってポカしたりするクセのあるミルコとしては、それでよかったんではないかと思う。それに対する3人の反応が面白かった。ノゲイラは「さすがに明日は必ず来るでしょう」、ジョシュは日本語で「たぶん、ミルコは恥ずかしいんでしょう」と笑わせたが、シウバは一言「彼のことは気に入らないので、どうでもいいです」と吐き捨てたと。

ワシはこの発言でシウバは負けに入ったのではないかと思った。つまりここで、ミルコ武蔵シウバ小次郎の構図ができてしまったということだ。こうなったら巌流島なるさいたまスーパーアリーナでの結果は見えている。もちろん、ミルコのコンディションの良さというのが、最大の勝因だったわけだが。。。

とにかくミルコ優勝おめ!ヽ(´ー`)ノ なんか偉そうなことを書いてしまってスマソが、まあ今日はこんなとこで。。。

2006年9月 9日 (土)

紀子さまご出産は9月6日

紀子さまがご出産あそばされたのが、日。
雅子さまがご結婚あそばされたのが、日。

これって何かあるのだろうか?

2006年9月 8日 (金)

ガブリエルⅢ:ゲートエコーの衝撃

Peter Gabriel 3: Melt #1.Peter Gabriel ⅢMelt

「ド、ド、タ、ド、ド、タッ! ド、ド、タ、ド、ド、タッ!……」

そのアルバムは衝撃的な音から始まった。ピーター・ガブリエルのサードアルバム、最初の曲「Intruder」のゲートエコーの音には驚かされた。……な、なんだ、このスネアの音は!って感じだった。

こんな音マネでは、あまりにもしょぼいので、「Intruder」のイントロをアップしてみる。まあ聴いてみてください。

 ♪「Intruder」を聴いてみる。

ピーター・ガブリエルというと、いろいろと思い入れがあるわけだが、そうしたことを抜きにしても、このゲートエコーの音はすごかった。このアルバムが発表されたのは80年。「できるだけいい音質を提供する」といったコンセプトで、レコードをメタル缶に入れた、パブリック・イメージの「メタル・ボックス」が発売されたのが同時期なので、これは録音技術が格段に進化した年と考えて間違いない。

ところで、そのゲートエコーだが、ワシはてっきりガブリエルⅢのプロデューサーであるスティーブ・リリーホワイトが作ったとばかり思っていたのだが、調べてみると、作ったのはエンジニアのヒュー・パジャムフィル・コリンズ、それを一般化したのがスティーブ・リリーホワイトということだ。でもこうした音を求めていたピーター・ガブリエルなしには成り立たなかったわけで、やはりガブリエルなしにはゲートエコーはあり得なかったと思う。そもそもⅢでは、リズムから曲を作るスタイルをはじめ、シンバルとハイハットを取っ払ったり、ドラム・マシーンやフェアライト・シンセを導入したり、アフロ・リズムをやったりといった“リズム革命”が試行されていて、ゲートエコーはそこにぴったりはまったという感じなのだろう。ちなみに、この「ゲートエコー」は「ゲート・リバーブ」という言い方もあるが、その当時は「ゲートエコー」って言われていたので、その方がワシ的にはぴったりくる。・・・あ、意味内容の専門的な突っ込みは、ここでしないでね(笑

ガブリエルⅢというのは、全くマーケットを意識していない作りをしているが、ひょっとしたら、ピーター・ガブリエルの精神状態がかなりきていたのかもしれないと思ったりもする。Ⅲの詩は、それまでの詩よりも著しく内向し、疎外感や孤独感をかき立て、人々の苦悩が剥き出しにされる。「No Self-Control」「I Don't Remember」「Not One of Us」といった詩もそうだが、ジャケット写真もぐちゃぐちゃだ。ガブリエルのソロのジャケットというと、Ⅰ(Car)が車の中から目がピカー!で、Ⅱ(Scratch)が外界引き裂きギギギ…で、このMelt)が顔ぐちゃぐちゃ、Ⅳ(Security)がストーカーもどきの目出し帽で、Ⅴ(SO)でようやく素顔が現れるという(笑)、……何ともここまでやるかなぁという感じなのだが、一番悲惨な感じがするのがこのⅢだからだ。ちょっと時期的には後になるが、ビデオ・クリップの名作の一つである「I Don't Remember」を見ても、かなり病的な感じなので、やはり何かあったのかと考えたくもなるのだ。・・・もっともワシはこうした病的なところが好きなのだが(笑

またこのⅢでは、ロバート・フィリップケイト・ブッシュポール・ウェラーデイブ・グレゴリーといったゲスト参加がある。これは、ピーター・ガブリエルにとって、いろいろと刺激になったことは間違いないだろう。そうした内側の病的悲壮感と、外側からの刺激的高揚感が、微妙な化学反応を起こし、このⅢという名作が生まれたのかもしれない。そしてまさに、このⅢの音こそは、ニューウェイヴのニューウェイヴたるものを顕現させたのだ。

理屈はともかく、このⅢの存在感を否定できるものはいない。そして、そこから見えてきたニューウェイヴの地平に、ワシは突っ込んでいくことになるのだが、そのころのことを我龍に書いていきたいと思うのであるのだ。



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2006年9月 4日 (月)

メアリー・ブラック:Song for Ireland

メアリー・ブラック(Mary Black) いい歌に言葉はいらない。ここで取り上げるのは、メアリー・ブラックの「Song for Ireland」である。まずは歌をどうぞ。

 ♪「Song for Ireland」を聴いてみる。

アイルランドで一番人気のあるアーティストは、U2でもヴァン・モリソンでもエンヤでもない。実は、このメアリー・ブラックなのである。

この「Song for Ireland」は、メアリー・ブラックがアイリッシュ・トラッドの雄デ・ダナンDe Danannに参加していた時の歌である。デ・デナンには、3人の女性ボーカリストが代わる代わる加わっていたのだが、ほかの2人、ドロレス・ケーンモーラ・オコンネルと比べて、メアリー・ブラックには線の細い印象がぬぐえなかった。

Live しかし、この歌声を聴くとどうだろう。そんな印象がいかに誤っていたかを思い知らされたものだ。ひょっとして、ライブでの歌こそ、メアリー・ブラックの本領発揮と言えるからかもしれない。・・・ああ、いかんいかん。いい歌に言葉はいらないと言いながら、ごちゃごちゃと書いてしまった。。。(;´Д`)

とにかく一人でも、この「Song for Ireland」を聴いてくれる人がいれば、ワシは満足なのである。そうそう、「Song for Ireland」の歌詞はこちらへどうぞ。


Mary Black : Song For Ireland

Mary Black : Song For Ireland 1 



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2006年9月 1日 (金)

ルース・エティング:Ten Cents A Dance

Ruth Etting:Ten Cents a Dance  1930年のアメリカ……ここは場末のクラブ。バーボン片手に独り片隅で手持ちぶさたにしていると、そこに一人の踊り子が近づいてきて、隣に腰を下ろした。それは、ルース・エティングRuth Ettingその人であった。

「リクエストは何?」
「10セントのダンス(Ten Cents a Dance)……」
「歌? それともダンス?」
「ダンスがご一緒できれば最高だね」

 僕は10セント硬貨を取り出しながら言った。ルースは微笑み返した。美人ではあったが、寂しげな陰が瞳に浮かぶのは隠せなかった。

「この歌は以前聴いたことがあって?」
パイワケットPyewackettというバンドが演奏をしているのを聴いた」
「知らないわ」
「85年のトラッドのアルバムだ。君が知らないのも無理はない」
「もともとはあたしの曲……」
「そうだった。1930年、今年のヒット曲だ」

 そろそろバンドの準備もできたようだ。僕は彼女に視線を戻すと、こう聞いた。

「ルース、結婚生活はどう?」

 彼女の顔が曇って、気まずい空気が流れる。しばらく間を置いて、彼女は言った。

「90%は恐怖、10%は悲嘆ね。でもあたしには、これしかできない……」

 そう言い残すと、彼女はステージに立って歌い始めた。

 ♪「Ten Cents A Dance」を聴いてみる。

Ruth Etting:Love Me or Leave Me  ステージの彼女は輝いていた。その歌声だけでなく、存在そのものが輝いていた。
 ステージを離れれば、彼女は単にシカゴのマフィア、マーティン・スナイダーのスケでしかない。このステージこそが、彼女の最も幸せな瞬間なのかもしれない。

 ……突然、銃声! 暗転。マール・オールダマンが撃たれたのだろうか。……気がつくと、僕は『情欲の悪魔(Love Me or Leave Me)』のCDを手にしていた。



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